石塚 敏朗
娘の犬が帰ってきた。居候である。それなのに行儀が悪い。あちこち小便を垂れる。けしからん。
廊下を逆光で透かして小便のありかを日に5度も確認しなければならない。ビクビクするのは、和服の来客だ。「いつもお世話になりまして」と上品に目線を下げ、指をついたところでグニャリと触れるもの、懐紙で拭うと黄色い、なんてことになると恥ずかしや、「さては」と目のやり場がない。もう、なんとかならんか。
外へ放すと電柱にまっしぐら突進して、いつもの通り。それなら、家の中に電柱の代わりを作ればいい。廊下の片隅に使い古しの台所椅子があるので、2本の脚の間に尿のしみたシーツを巻き付ける。更に、匂いを濃くするため2枚分重ねた。これに連続して床に新しいシートを敷く。
犬が臭い柱に鼻を押しつけ、それからしゃがんでお仕事、という作戦である。おまけにもうひとつ、外の電柱に染みこんだメス犬の小便をしっかり擦り込んで、作戦シートに追加した。
戸の隙間から様子を見ていると、作戦シートの匂いを嗅ぎつけ、くるくる3回廻って尻を落とす。「一寸、見ないでよ」、首を縮め、神妙な顔をこちらに向けると黄色いしみが広がった。
翌朝、来てくれたお手伝いの人に第一番に自慢したら、「よかったですね」と見て廻った。掃除の手数がぐっと減るからである。
数日後、飼い主の娘が帰宅して玄関に入るや、見たことのないほど尻を振り、はたきで叩いて掃除するみたいに尾を回す。そして、騒ぎ廻り、小便を撒く。娘の顔を見ると、そちらの流儀に早変わりするのか、虎の威を借りて“自由で御座る”と居直りする。けしからん。
「じいさん、オシッコ拭いておいてよ」、と言い残して娘は出かけた。「うーッ!、ここまで老人をこき使うとは」、けしからん。娘はこのところ、ボケ予防に運動が必須だと確信しているらしい。しぶしぶ腰を曲げて始末を始めた。これは自分のためになるか、と友人に問われれば、「幸せだ」と答えるしかない。
(平成30年10月号)