佐藤 舜也
9月になると暑さは残っているが、浜辺を彩っていた月見草やノウゼンカズラなどの花を見られなくなった。蝉は鳴いている。今年の夏は異常に暑い夏で、蝉は少なく、蚊はほとんど見当たらない。蚊も育たないくらいの猛暑だったということか。蚊ばかりでなく、今年は虻も蜂も蜻蛉や蝶まで例年より少ないような気がした。小さな我が家の庭でも例年は松の木に蝉の抜け殻を10個くらい見つけるのだが、今年はたった1個だった。
山道の蜘蛛の巣は行く人がいないこともありいつもと同じだが、巣にひっかかっている蝉や蜻蛉は例年よりも少ないように思う。蝉や蜻蛉にしてみれば良いことであるが、飛んでいる数が少ないことを示すのでなかろうか。動物ばかりでなく、町並木さえ早く葉が枯れて、一見紅葉のようになった。いつもの所に咲く花も数少なく、色褪せているように見えるのも気のせいか。山の道端にある蛍袋のように目立つ花ばかりでなく、地味な下野草や虎の尾なども見なくなった。人が採りつくすような花でないので、出水に流されたのか。
それにしても感心するのは盗人萩や、継子の尻拭いや屁糞蔓などの、名前だけみると可哀想な名前のついた花の強いことには恐れ入る。いじめられた感じの名前に対して、敢然と立ち向かってこれでもかと反抗しているような感じさえある。だれが命名したのかは知らないが、植物としての生命力の強さが嫌われて、可哀想な名前がついたのかと思えるくらい。
台風のあとで樹齢50年以上はあるような大木が倒れて道を塞いでいた。昔はこの倒木に何年後か茸が生える日を想像した。歳をとった今では何年か後でなく、来年また来れるだろうかと想像する。茸の出る日は妄想のレベルである。