山﨑 芳彦
サンフランシスコから、西海岸に沿ったパシフィックコーストハイウエーを約200km南下、モントレー半島の一角に太平洋に面して、Carmel-by-the-Sea(通称はCarmel)という市がある。人口4千人弱の小さな市であるが、俳優のクリント・イーストウッドが市長を務めたことでも有名になった。ここには俳優、作家、画家、有名スポーツマンなどの別荘が多い。この近辺は、ラッコの保護などで活動しているモントレー水族館、ゴルフファンあこがれのペブルビーチも近いし、スタインベックの『キャナリーロウ(缶詰横丁)』(写真1)、貧しい農民の生きざまを描いた『怒りの葡萄』や『エデンの東』などの舞台にもなった。この半島の海岸線を縫うように走る17マイルドライブは、松林も多く、岩肌が海岸まで迫っているところもあり、景色は本県のシーサイドラインを彷彿させて風光明媚である(写真2)。ここの緑濃い景色は、日本人は見慣れているが、乾燥地帯が多い米国に住む人にとって人気が高いという。
このカーメル市の海岸の松林の中には、画廊、土産物店などが散在している(写真3)。新潟市の海浜公園の松林の中に店が散らばっているといった雰囲気の場所もある。ここの住民は決して文明の進歩を望まず、街には大きな建物、ネオンサインや屋外広告もほとんどなく、道路も最低限の舗装で、ひっそりと、だが心豊かに暮らしているという。郵便配達もなく住民が郵便局まで受け取りに行き、警察も自警団が行っているとのことである。自分たちのことは自分たちで決め、これを守るという、いわゆる自治を重んじており、役所主導の都市とは異なっている。しかし、いまやひっそりと暮らすという住民の思いと違って、世界的に有名な市になってしまったようである。
ロサンゼルス市自体は巨大な都市であるが、周囲は、数千人から、せいぜい20万人程度の多くの衛星都市に囲まれている。これらの市によっては、緑が多く美しい環境を保っているところとそうでないところの落差が大きいように思う。例えば、ビバリーヒルズ市には広い庭を持った豪邸が並び、ロサンゼルス市の中に島状に浮かんでいる美しい市であるし、小生の住んでいたパサディナ市も、一歩奥に入れば、広大な芝や森に囲まれて、内部が見えないような屋敷も多い。前庭や、歩道も美しく芝が刈られており、胸がすくようなすがすがしさが感じられる。アパートでも、庭が広く、大きな一軒家のように見える作りが多く、われわれの感覚では、一見、アパートらしくない。このような市は米国ではいくらもある。また、逆に治安の悪いスラム化した市も隣り合わせているのである。何れにしろ、市の合併問題などほとんど起こらず、住民の自治を重んじ、地域の環境問題などは小さなコミュニティで討議されている。街の美しさを保つための決まりも厳しいところがあり、例えば、家の前の芝生が少しでも枯れかかっていると、すぐに投書されることもあるという。
日本では、人口が増えることがよいことだと市町村が合併し、村と呼ばれるところはほとんどなくなった。郡という行政単位は明治11年に作られ、大正12年廃止になっているが、地理的な単位としては今でも残っている。しかし現在、1郡1村という地域や消滅した郡もあり、郡の意味もなさなくなってきている。確かに、ごみ処理や福祉など、広域化により効率を良くすることは必要だが、地域住民の意見が取り入れにくくなり、かつ個性がなくなってきているように思う。日本では、人口減少による過疎化が大きく討論され、文化が発展し、観光に力を入れて人を増やすのがよいことだと思われているようだが、人が少なく、不便なことが多くとも、豊かな心を持ってひっそりとくらす選択もあってよいかと思う。
写真1.スタインベックの小説、キャナリーロウに出てくる缶詰工場跡。
現在、辺りは改装され、人気のショッピングモールになっているという
写真2.17マイルドライブ、新潟県のシーサイドラインを彷彿させる
写真3.カーメル市の様子、この辺は画廊が多い
(平成30年11月号)