蒲原 宏
今年の夏は猛暑というより酷暑。
悪虫もよく活動したらしく、久しぶりに新聞紙上でツツガムシ病で死んだ人があったことを知った。県の衛生係の曰く「ツツガ虫の発生状況を県民に公表するつもりはない」と。フザケルナ。
梅毒の数を発表しているくせに、二昔前とちがって特効的な治療薬があるからといって、発生情報を公開しないでいると、ツツガムシ病を見たこともないお医者が多い世の中。患者を診ても気付かないで今回のように死人が出るハメになる。
特効薬があっても早期治療が必要。
すでに50年ほど前になるが、虫にさされたようだと皮膚科に行った患者。「たいしたことはない」と、塗り薬をもらって帰った。夜になって足関節の痛みが出た。朝になってもよくならない。
整形外科へ来診。別に腫れてないが膝関節も痛くなってきたという。熱を測ったら37.8℃。大腿を見たら虫に刺されたあとがある。「何処で刺された」「阿賀野川の支流で釣りに行って」だという。
ふと刺しあとを見ると、学生時代(昭和18年)に内科の臨床講義で見たツツガムシ病患者の刺しあとによく似ている。「ひょっとするとツツガムシ病かも知れんぞ、内科へ紹介するからすぐ行って精検してもらいなさい。関節の痛いのは熱が高くなる前によく出る症状だと思う」と内科へ送った。
内科部長は故柴田経一郎教授の高弟の一人。
早速、ツツガムシ病の検査をしてくれた。
わが診断通り。「あんたよく見つけたね」
「柴田先生の臨床講義を思い出しただけさ」
「オーレオマイシンがよく効いてじき退院だよ」
軍医になれば必ず南方戦線へやられるだろうとマラリア、ツツガムシ病の患者があるとよく臨床講義があり、プラクチカントとして指名されたことが、戦後に思わぬことに役立った。
ツツガムシ病は特効薬があっても診断、治療の時期を失すると、腎不全、心不全を起して死に至ることは昔も今も変わらない。ムシ刺のアトを軽視してはいけない。今どきツツガムシ病患者を死なせるのは医者のコケンにかかわり、資質を疑われる。
ツツガムシ病は昔も今も厳然として新潟県の風土病であることを県内に勤務する医師は専門の科を問わず頭に刻み込んでおいてほしい。老生の学生時代は90%は死ぬ病気であった。治療法も江戸時代と全く変わらない。局所切除、全身状態管理だけで化学療法ゼロであった。
ちなみに、江戸時代の文政年間(1818~1829)に新潟町の地誌研究者草間文績(本名笹川屋伊七、生没年不詳)がまとめた『越後図説』という地誌の中に、現在の新潟市江南区小杉のツツガムシ病のことについて次の様に書き残している。次に示す。
「疫病島」蒲原郡金津ノ庄小杉村(旧中蒲原郡横越町小杉)
此の村の地所阿賀川中に島あり、疫病島と名付く、夏月土用より八月迄此の処にて萱を苅る。
或るいは畑を作る者、毒虫に刺され死す。
其の形白毛の如く、長さ一寸八分ばかりの虫なり。多くは股の辺睾抔にえらりと身に覚えて立つことあり。これを爪にて抜かんとするに、半ばより切って先の方は身の内に入るなり。
暫くありて総身汗寒だち、後大熱病となりて死す。その死する時、口中の歯茎より右の虫赤色に変じて出るなり。
脚抔刺されしは刃物を以て即時に切り抜き、此の難を逃るる者ありといえども、睾丸を刺されし者は如何ともすること能わず。
甚だ迷惑なもの也。
昔も今も相同じ、去る文化丙子年(13年、1816)此の毒虫に刺され五人死す。
此の外信濃川続きの河原島にも適あれども、此の疫病島の如く甚だはなし、是世上に恙の虫と云う類なるにや。
また、医師による記録としては旧新関村小口(現・秋葉区)の漢方医清水由斎(1822~1906)による『弁恙虫』という小著が残っている(新潟県立図書館蔵)。
これらの記録を見ると文化、文政年間(1804~1829)頃の民間における治療と昭和18年(1943)頃の医科大学における治療と根本的には全く変わっていないことが知れる。
せいぜい強心剤、それも現在の薬理学からみるとほとんど効果のない薬品を使っての全身管理と稱するものが行われておった。強いて言えばリンゲル液の輸液で電解質のコントロールか水分補給程度の治療しかできなかったのである。
老生が臨床講義で恐る恐る手を触れた患者さんも7日くらい後に亡くなったと看護婦さんから聞いた。確か30歳くらいの妊娠していた農婦だったように記憶している。恐らく胎児もだめだったにちがいない。学生ながら暗然たる思いであった。
現在ではこうゆうことはあってはならないことであるが、今年は現実に一人のツツガムシ病患者が診断、治療の遅れで亡くなられたのである。
伝染はしないが、致命的な結末の危険のある地方病の発生情報はそれを把握している県の衛生当局は、公的情報として県民に、医師に伝達、公報すべきであると思う。
梅毒をはじめ性病の公報も必要であるが、短期間における致命的疾患ではない。
ツツガムシ病は短時間で致命的か完治かに分かれる危険きわまりのない地方病である。
発生率が少ない、報告が少ないからと言って公報をしておかないのは衛生行政の怠慢と言われても仕方ないのではないか。
危険疫病の情報は臨機応変に衆知し、犠牲者の発生を防ぐのが衛生行政の姿勢であってほしい。
ツツガムシ病の恐ろしさは、その発生が僅かな故をもって忘れられようとしており、阿賀野川、信濃川沿岸のかつてツツガムシ病多発地帯でも、その地に伝わるツツガムシ病除けの民俗行事もほとんど行われなくなってしまい、住民のツツガムシ病に対する関心も甚だ稀薄となっている。
ツツガムシ即毒虫送りの民俗行事は県内では五泉市善願で1か所だけ続けられている。
それも無形民俗文化財として維持され、集落の努力にまかせられ、県からの助成金もない。指定のしっぱなしである。毎年6月24日に「毒虫おくり」が行われ、地方新聞の記事になる。新潟県のツツガムシ病についてのヨーロッパへの紹介は英人宣教医パーム(T. H. Palm, 1848~1928)による論文が最初である。パームについては『新潟県医師会報』(平成30年9月号P.9~10)を見ていただきたい。
ツツガムシ病の研究はかつて新潟医大のお家芸の一つであり、数々の業績がある。精神病治療にも使われたこともある。
ツツガムシ病について読み易い名著としては故宮村定男教授の名著『恙虫病』(新潟考古堂発行)がある。
ツツガムシ病を聞いたこともない、見たこともない新潟県在住のお医者には是非目を通してほしい。
ツツガムシ病は現在も致命的な地方病だから。