松浦 恵子
忘れ物、失くし物、落とし物、不注意とそそっかしさの産物といえる事象に対して、自身で「名人」と思っている…って他者からは「どうかしてる」と見えますよね?それでも私は自分を「忘れ物名人だなあ」と思っているのは、頻繁に忘れ物、落とし物を発生させるばかりでなく、それらを見つけ出し手元に戻すことがしばしばあって、それが何となく嬉しいからです。ここまでで十分呆れられるでしょうが、でも続けます。
私に置き忘れられた物のトップバッターはデニムの黒い帽子。新幹線の中、イベント会場、居酒屋など4回は失くしています。座席から立ち上がるとき膝から落として「落としましたよ」と教えて頂いたニアミスも。車内、屋内で帽子を脱ぎ、外へ出て被ろうとして気づく。失くしてから気づくまでの時間が短く、どこで失くしたか場所を特定しやすいということもあり、発見が叶います。気づいたらすぐさま遺失物担当部署に駆けつけることで発見率が上がります。心優しい旅の同行者が、その先の予定を気にしつつも私の忘れ物捜し行動を許してくれることも大事なポイント。友人に「あの帽子、また失くしたけど見つかったよ!」と私が自慢?すると「必ず帰ってくるね、ブーメランみたい」と(たぶん「また忘れたのか?」と呆れながら)言ってくれます。
自転車の鍵も数回、新潟駅の遺失物係に問い合わせて発見。おかげでその遺失物保管場所がどこにあるか覚えました。スペアキーもあるので、捜さなくても困らないのだけれど諦め悪く捜す。だって落とし物として届けられていて誰も取りに来なかったらその物はどうなる?預かっている方だって困るだろうし、落とし主が見つかれば遺失物係の人も嬉しいよね?とは不注意な落とし主の身勝手な言い分。
けれど、よくよく思い返すと見つからなかった落とし物もあるある(手袋の片方等)。見つかった物だけ記憶して名人ぶっている私は、忘れ物名人ではなく物忘れ名人?
(平成31年5月号)