山﨑 芳彦
民放のテレビ番組に『ポツンと一軒家』という番組がある。山中の一軒家をテレビレポーターが訪ね、その生活を紹介するもので、それぞれにいろいろな人生ドラマがあり、深い感銘を与えている人気番組である。多くは、かつては何軒かの集落があったが、過疎化により住む人が山を下り、一軒だけ残された家族が、週に何日か通って、かつての生活を守ろうとするパターンである。里山の自然に触れ、そのゆったりした生活に共感を覚えるが、実際はその苦労には並々ならぬものがあろう。それゆえ、そういう生活にあこがれても、体力の続くうちはよいが、さまざまな苦労が考えられることから、いざ実行に移そうという人は少ないように思う。
長野県のある山間部に小さな湿原がある。インターネットで調べると、昔は訪れるひとも少なく人工物もほとんどなかったが、貴重な湿原植物も多いため、今は人の手がだいぶ入り、木道などが整備されて賑やかになってきているようである。
トンボの採集などが趣味のため、夏休みの家族旅行というと、県内外の池や湿地帯を巡ることが多く、家族をこれに巻き込んでしまったと今は後悔している。30年前のこの日も、長野県へのドライブ旅行中、トンボの案内書で見つけて家族とここを訪れた。まだ小学生であった息子、娘とこの湿原で網を振りまわしていると、初老の紳士が声をかけてきた。話を聞くと、この湿原の脇の小高い丘にポツンと一軒家があり、一人でそこに住んでいるのだという。テレビ番組で見るほどの山奥ではないが、かつては数軒あった集落が、今は一軒だけ残されている。この家で少し休んでいかないかと誘ってくれた。広く戸が開け放され、風通しのよいむしろ敷きの居間であった。ここでよく冷えたスイカを出してくれた。数年前にこの農家と周囲の土地を購入したという。話が弾んでいろいろ聞くうち、当方が医師だとわかると、かつて東京の会社の社長であり、胃がんの手術を受けたが、今のところ再発はなく、今は一線を退いて、冬を除いてここに来るのだという。また、自分の弟が東京の私立大学の小児科の教授をしていると教えてくれた。どこの大学か、どういった会社の社長であったのかなど興味があり、尋ねれば答えてくれたかもしれないが、今回は一期一会の出会いであり、もう二度と出会うことはないだろうとの思いから、お互い深くは詮索しなかった。湿原の周りに何枚かの田んぼがあるが、ここは近所の農家に頼んでコメを作ってもらい、自分は畑でいろいろな野菜を育てているという。田んぼ脇の細い水路には、ドジョウをとる網籠が仕掛けてあった。若い時はがむしゃらに働き、一線を退いたら悠々自適の生活を送るという理想を追い、まさにこれを実行した人であった。この頃、小生も若く、このような生き方にはまだ興味も浅く、このスタイルは世間にも広く受け入れられていなかった頃である。現在、この一軒家の主人がどのように過ごされているかわからないが、今となってその実行力に驚いている。
この時の影響か、自分も定年退職後、新発田市の郊外に元農家であった古民家を手に入れ、ガーデニングや野菜、果物を育てたり、イワナを飼って楽しんでいる。今になってこの社長の思いが理解できるようになった。ただ、自分の場合は、ポツンと一軒家では何かと不自由なことがあると思い、この家は多くの農家が点在する場所にある。
(令和元年9月号)