石塚 敏朗
近くに住む友人は、その妻の逝ったその年の夏、一輪の桔梗に目をみはった。スキッと伸びた茎の上の濃紫に気を吸い込まれた。もう何もなくなった植木棚に妻の残したひと鉢である。
庭一杯を桔梗でうめてみよう。こうした夢をふくらませて6年、連年数鉢づつを買いこんで土に下ろした。ところが、さっぱり見栄えがしない。茎が細いやら、S字状に腰が歪んでしまうやら、桔梗の園どころかまるで藪になってしまった。
ネットで調べた桔梗の寺・京都盧山寺。花茎がすっと立って風格を保つ。画面を拡大してみると、10本ほどの茎が根元より真っ直ぐに、ひとつの群れをなして屹立する。このようにまとめあげればいいのだ。
桔梗は陽差しに向かって逆傘状に伸びてゆき、窮屈に寄り合わないように枝を脇へ張る。この性質を知らなかった。新しい作戦の開始である。
5月、萌えだした芽を自然に伸ばし、6月には腰高70cmあたりを見計らって穂先を切る。さらに横へ伸びた茎を刈り取って、中心に寄る、太くて垂直な茎だけを残した。
7月中旬、切り落とした先端から複数の新芽が茂り始め、更に芽数が増やして窮屈にさえ見えた。ひと株だけにしぼりこんだことで、うまくいった。
蕾が膨らみ始めた。電球を逆さにしたような頭デッカチの五角形が、内なる気を一気に吹き出さんばかりに緊張する。
やがてお盆を迎える日。黄の小蝶が花に脚を伸ばし、大きな蜂も口先を花に埋め、雀のつがいが草の緑を横切っていく。友人はここに浄土をみた。そして、やさしい風を頬にうけながら空の向こうに、こう言った。
「蝶になって帰って来い。こちらに着いたら桔梗の花に留まってくれ……」
「黄色でなくて白い蝶がいいな」ともう一言。
命の終わりを迎えた頃に、毎日往診してくださった歯科女医先生の額縁を飾る。「新盆でふとんを干してパジャマおき靴下揃え妻を待つなり」。あの新盆の日は、張り切っていたな。
「忘れないで迎えに出てよね。近頃うっかりボケなんだから」。ひとこと多いのは妻の常。
水滴の残るままの桔梗を一輪添えてみようか。白いシャツを着て友人は目をつむった。
(令和元年10月号)