関根 理
少子高齢化が顕著になってきているが、「団塊の世代」と呼ばれる人達がまもなく高齢者の仲間入りをして、一気に加速するという。今は65才以上を高齢者と呼んでいて、実情にそぐわない気もするが、それでも高齢社会は確実に進展していくだろう。
ITだ、AIだと、科学の進歩は我々の生活を豊かに、便利にしてくれている。家庭でも社会でも物事が合理化され、円滑に進むようになり、私達はその恩恵を受けて長寿社会を形成している。“長生きをしていてよかった”と思わされることが沢山ある。「百歳時代」といわれる健康長寿の日本で生きているわけだが、同世代で先に世を去ったり、病臥に伏している人達も勿論沢山いる。それでも平均寿命が伸び、健康で活躍している高齢者が多くなっていることは間違いない。この長寿社会、これからも続いていくのだろうか。私達のいなくなったあとの日本は?というと、少し心許ない気がする。私達の世代は厳しい戦中、戦後を体験し、貧困と飢えに苛まれながら必死に学び、働らき、心身を鍛えてきた。その体験を糧として、今の恵まれた社会を生きている。厳しさを経験せず、幼少の頃から飽食の時代、冷暖房完備の環境で育ってくる人達は、社会の荒波や老いと共に訪れる身体の変調などに対応できる基盤が弱いのではないだろうか。たとえば熱中症、以前はこんなものはなかった。普段から暑さの中で鍛え、汗をかく習慣が身についていれば、大概の暑さには耐えられるはず。小さい頃から耐えることの大切さを身につけ、基礎的な体力造りが行われていれば、熱中症など今ほど騒がなくともすむのではないだろうか。鍛えることを怠たり、楽をして逃避するばかりでは、恵まれた環境であっても長寿などは覚束ないのではないだろうか。
若い人達が結婚もせず、親と同居したままで中高年となり、ひきこもりとなってしまう、あるいは結婚しても子供はつくらないか、1人か2人でやめ、自分達の生活を楽しもうとする。これでは少子化は当然だし、長生きできない高齢者達が増えていくことだろう。
少子高齢化の先には人口減少から民族の衰亡が待っていることになる。
(令和元年10月号)