荻荘 則幸
この原稿を書いている令和元年10月22日、皇居・宮殿「松の間」における即位礼正殿の儀が平安絵巻さながらに挙行されています。髙御座に上られた天皇陛下、十二単を身につけ御帳台に上がられた皇后陛下が明るく照らし出される様子を見るにつけ、感慨がひとしお湧いてきます。
令和元年9月17日(火曜日)に天皇、皇后両陛下を私が理事長を務める社会福祉法人“豊潤舎”で運営させて頂いている“新潟県障害者リハビリテーションセンター”にお迎えし、センター内を御案内するという光栄な大役を仰せつかりました。天皇、皇后両陛下は朱鷺メッセで9月16日に開催された「国民文化祭」「全国障害者芸術・文化祭」の開会式ご出席のために新潟県を訪問され、その翌日に当センターにお越し下さいました(天皇陛下のお出ましを“行幸”、皇后陛下のお出ましを“幸啓”、両陛下のお出ましを“行幸啓”)。
当センターはその前身が昭和25年に新潟市川岸町(新潟県立がんセンター新潟病院の近く)に設置された身体障害者、四肢・肢体不自由の方々のためのリハビリ(更生)施設“新潟県身体障害者更生指導所”でした。当時は戦後間もないため、手足を切断された方々や、ポリオ等の感染症による後遺症の方々がたくさん利用されていました。
平成9年4月に現在のJR亀田駅東口、新潟ふれ愛プラザ内に移転され、さらに平成18年からは民間活力の利用による、指定管理者制度のもと、民営に移行されました。名称も時の泉田知事に提案し“新潟県障害者リハビリテーションセンター”と改名させて頂き、社会福祉法人“豊潤舎”で委託を受けました。
当センターは、現在52名の障がい者の方々が利用されています。時代の移り変わりとともに利用者の疾病構造もかわり、利用者の多くが脳血管障害(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血)、頭部外傷(交通事故・労災事故)、神経難病、高次脳機能障害等々の方々で、平均年齢は43歳と、人生の中で一番大切な年代の方々が多いです。利用されている皆様の大きな目標は就労(復職)とされています。“当センター”は通所でも、また入所でも利用でき、新潟県内の各自治体が窓口になっています。リハビリ訓練の内容は多岐に渡っています。理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)による医学的なリハビリ(機能訓練)から、在宅生活のための基本動作の習得(生活訓練)、また、社会復帰のための就労移行支援等を行っています。
今回の行幸啓に関して、新潟県庁から6月に連絡を頂き、7月中旬には第1回の予行が実施されました。宮内庁、皇宮警察、警察庁、県警本部、県庁秘書課、県庁障害福祉課等々の担当者が来所され、細かなチェックを受けながら、その後、当日の朝まで幾度となく予行は繰り返されました。予行を繰り返す中で天皇陛下の“侍従職”の方々と接する機会が多々ありました。奈良時代からの約束ごとと慣例の世界に生きる侍従の方々はとても聡明(私がお話しした方は東京大学卒の官僚でした)で、てきぱきとしていました。予行を取り仕切っているのは若い侍従の方でした。毎月の様に日本全国に出かけて、完璧な分刻みのスケジュールを作り上げ、また、事故が起きないように細心の注意を払っているそうです。
行幸啓に際し、私達は、履歴書を提出していましたが、当日の3週間前と1週間前の2回、お近くで接する職員も含め、健康調査票の提出を求められました。県警本部との警備の打ち合わせや、現場の確認作業は1か月前からは連日のように行われ、警備の物々しさを実感いたしました。1週間前には新潟県知事(花角英世氏)が直接来所され、当日の動線を一緒に確認させて頂きました。予行はさらに2日前と当日の早朝からも行われました。最後の最後まで分刻みのスケジュールを安全、無事に遂行することが求められました。
両陛下の“御着”(到着のこと)の1時間位前に侍従の方から天皇陛下よりのお土産ですと凮月堂の“ゴーフル”を頂きました。その際の侍従の方の格式髙い、古式ゆかしき言葉での“口上”は私には全く理解できませんでしたが、最後に現代語で天皇陛下の御着の際にはきちんと御礼の言葉を述べるように言われました。思わず、私は普通の日本語で良いのですか?と尋ねました。
令和元年9月17日午前9時21分(時間は正確です)に秋晴れの中、黒のトヨタセンチュリー(普通のナンバープレートはなく、その代わりに金色の菊の御紋章がついていました)が皇宮警察と新潟県警察の白バイ隊に先導され正面玄関に到着、車を降りられた両陛下は玄関の周りの約100名の一般奉迎の方々に丁寧に笑顔で手を振られた後に、施設内に向かわれました。この時に玄関先でお迎えした方々は、加藤勝信厚生労働大臣、宮田亮平文化庁長官、藤山育郎新潟県福祉保健部長、そして私でした。侍従に言われたように天皇陛下に御礼の言葉を述べさせて頂きましたが、何をどう言ったかは緊張しており記憶になく、ただ両陛下の温かな笑顔だけが脳裏に残っています。
両陛下は二階の御休憩室にてしばらく休息後、陛下は上着を脱ぎ、Yシャツ姿で一階のリハビリ室にお出ましになられました(この休憩室にはお水、お茶、銘柄が指定されたスポーツドリンクが用意されていました)。リハビリ室の入り口で両陛下をお迎えし、施設の変遷、現在の活動内容について歩きながら説明させて頂き、当センター利用者で障がいを持つ方々のリハビリを見て頂きました。
直接、両陛下がリハビリの現場でお声掛けを頂いた方は40代から50代の男性の皆さんで脳血管障害の後遺症で手足の不自由な方々でした。動かなくなった前腕・手に電気刺激装置で刺激を与え、物を把持するリハビリを行う方、半身が不自由でも仕分け作業の訓練を行い公務員を目指す方や、自動車免許の更新のために障がいを持つ方々専用のソフトを組み込んだドライブシミュレーターを使用し、手足が不自由でも車の運転に復帰を目指す方々を両陛下にご覧頂きました。その際にいろいろな御質問をなされたり、やさしい励ましのお言葉をかけられたりされていました。ドライブシミュレーターの所では、皇后陛下は御自身が運転をされていた20年前のお話をされていました。私のすぐ背後には、分刻みのスケジュール通りに進むようにタイムキーパーの職員がぴたりとついていました。さらにその職員の後ろには宮内庁の侍従が時計に目を光らせていました。後半になると、さかんに私の背後のタイムキーパーから次に進むようにと合図がくる中で、皇后陛下はたくさんの御質問をされていました。リハビリ室での御視察のあと、リハビリ室の出口で両陛下は私にねぎらいのお言葉をかけて下さいました(まさか、3人で立ち話をするなんて…‼)。
私は今、誰とお話をしているのかと夢見心地でした。とにかく体全体からかもし出されるロイヤルファミリーのオーラは言葉では表現できないものでした。日本国、日本国民の全体の象徴である天皇陛下に恐れ多くも私ごときが…という至福の時間でした。
その後、センター内の体育館で開催されている障がい者による“大凧作り”を御視察後、当センターを御出発(御発)されました。御発の際にもお見送りしていた約20名の車椅子の障がい者の方々1人1人にお二人で優しく中腰になりながらお言葉をかけて頂きました。今回の行幸啓で経験させて頂いた、両陛下の気品あふれる自然体の所作とともに、そのお人柄を感じさせる温かさ、親しみやすさ、さらに飾らない平素なお言葉を職員、利用者一同、感動と感謝の念を持って末永く忘れることなく大切にしていきたいと思います。
後日談ですが、今回の行幸啓の後で宮内庁より、お菓子“和三盆”が記念の品として送られてきました(写真 左側)。実は当施設は平成15年にも時の平成天皇、皇后両陛下がお出ましになりましたが、その際にも“和三盆”を頂いておりました(写真 右側)。
(令和元年11月号)