永井 明彦
令和初めてのお正月はまれに見る暖冬小雪の中で迎えた。1月の連休はスキーに行くのだが、雪がないので、新潟市美術館で開催されていた20世紀米国の国民的画家、アンドリュー・ワイエスの展覧会「オルソン・ハウスの物語」を観てきた。メイン州のワイエスの別荘近くのオルソン家と、そこに住むクリスティーナとアルヴァロ姉弟を、彼が好んで描いた“オルソン・シリーズ”の多くの作品が展示されていた。
アメリカの20世紀美術といえば、アンディ・ウォーホルやジャクソン・ポロック、ジャスパー・ジョーンズ、ロイ・リキテンスタインなどの抽象表現主義による様々な主義主張のもとに描かれた絵画が多いが、興味を惹かれることはあっても、どうにも好きになれない作品が多い。ウォーホルがニューヨークで夜な夜な華やかなパーティに興じていたその頃、故郷ペンシルバニアと夏の別荘があったメイン州を往き来しながら、ワイエスは厳しい自然と慎ましく生きる素朴な田舎の人々を題材に、一人頑なに写実的なテンペラ画を描き続けた。
生来病弱だった彼は学校にも行かず、孤独に育った。家庭教師に読み書きを習い、挿絵画家の父から絵画技法を学んで独学でアメリカン・リアリズムの代表的な画家になった。彼の作品は神秘的、超現実的で怪しげな感覚を含んだ絵が多く、マジック・リアリストとも評される。物質至上主義に犯されないストイックな生き方に共鳴し、身辺の何気ない情景に美しさを見出す我々日本人の心に強く響く画家である。
『クリスティーナの世界』はニューヨーク近代美術館(MoMA)に所蔵されるワイエスの印象的な作品だが、そのモデルとなった女性はオルソン・ハウスに住んでいたアンナ・クリスティーナ・オルソンである。ワイエスは彼女が55歳の時、ポリオによる下半身の麻痺で草原を這って渡って行くのを見て、「誰もが絶望に陥るような境遇にあって驚異的な克服を見せる」彼女の生き様に心を打たれて描いたという。絶望と希望が交互に迫り、一度見たら忘れられない絵だが、メイヨー・クリニックの小児神経科医のマルク・パターソンの研究によれば、彼女の下肢の麻痺は通説の小児麻痺ではなく、早発型の遺伝病、シャルコー・マリー・トゥース(CMT)病の症状だったという。彼女の病名は長らくアメリカ医学会のミステリーだったが、2016年の年次歴史臨床病理カンファレンス(リンカーン、ダーウィン、レーニンなど歴史上の人物の病名を診断してきた学会)で、徹底的な考察と検証によりCMT病であることが明らかにされたのだった。
一方、ワイエスは近在の農婦ヘルガを秘密のモデルとして、妻にも知られず15年に亘って描き続け、「世紀の密会」とスキャンダラスに報じられた。クリスティーナやヘルガの絵には、虚弱な自身にはない強い生命力や女性性のようなものへの、引きこもりの天才画家の憧憬の念が感じられ、一人のモデルを何年にも亘って描き続けた作品は、一種のドキュメンタリー映画のようだと評する向きもある。なお、この絵は書かれた当座は評判が芳しくなく、MoMAの初代館長A. バーが僅か1,800ドルで買い取ったが、今では、MoMAの代表的なパーマネント・コレクションの一部として、外部に貸し出されることは滅多にないそうである。新潟市美術館でのワイエス展では、水彩による下絵が展示されていたが、実物と対面するにはニューヨークに行くしかないようである。
(令和2年4月号)