中村 隆人
皆さん、はじめまして。この4月からプラーカ中村クリニックで開業医に仲間入りさせて頂きました中村隆人です。村上総合病院を退職するにあたり、内視鏡スタッフに書いた手紙があります。これからの人生で、この節目の気持ちを忘れずに邁進できるよう、また、私を知っていただくご挨拶も兼ねて転載させて頂こうと思います。
テーマは「メス」を置いて感じた、感謝の気持ちです。メスを置くという言葉は、外科医が自分の価値そのものであった手術を執刀する機会を失い、新たな環境へ生活の場を移す様子を表す言葉だと思います。私にとってのそれは、消化器内科医になってからずっとライフワークとしてきた「処置内視鏡」を置くことでした。外科医の父が開業に際しメスを置いた時の感覚を話してくれたことは一度も無く、私はその時が訪れるまで自身の気持ちを想像できませんでした。
前置きが長くなりました。以下に手紙を転載いたします。(一部改変)
内視鏡室の皆さんへ
令和2年3月の最後の当直で、勤務医を辞める以上もう行えないと思っていた大好きなERCPを必要とする患者さんが救急外来にいらっしゃいました。
ERCPは技術や努力だけでなくセンスも要求される非常に奥深い手技です。故に私は、職人の様に症例に向き合う夏井正明先生や塩路和彦先生といったスペシャリストと憧れる先輩方に、追いつき追い越したいと思い努力してきました。
私にとって最後となったERCP症例は胆石性膵炎でした。痛みでのたうち回る患者さんに緊急ERCPを選択しましたが、最近は後輩指導の為に裏方に回っていましたので、一人きりは1年以上ぶり、10年前の初体験と同様、こわばる手で内視鏡を握ったのを覚えています。
これが最後のERCPか…そんな気持ちで始まり、そして終わった手技でした。
同時に、一切の躊躇なく、一切の遅滞なく、一切の無駄なく、美しく完璧に終えられたと思え、なんとも言いようがない達成感を胸に内視鏡を置きました。
しかし、何より感動し感謝したことがありました。村上赴任当初、へき地にある医療格差をひっくり返したいと、近隣の三次病院でも行われていなかったような先進治療に積極的に取り組みました。しかし、当然一人では何もできません。周りがついてこず慣れないスタッフは悲鳴を上げ、処置はもたつきました。しかしこの日、5年間という時間をかけて数々の症例を共に乗り越えてきたスタッフのサポートは、まさに阿吽の呼吸。処置の流れを読んで準備し、待っていたかのように道具が出てきました。まるで、閉店を決めた古びた小料理屋の老夫婦が、何万回も繰り返した動作を確かめ、思いを馳せるような、以心伝心、ジンワリくる時間でした。
チームの絆を最後の最後に切に実感できたことは、嬉しくもあり、同時に悲しくもありました。スタッフに支えられながら行ってきた1症例1症例を思い返し本当に素晴らしい時間だったことを噛み締めました。
様々な気持ちから涙がこみ上げ、どっと処置内視鏡に後ろ髪を引かれました。それでも皆さんのお陰で、処置内視鏡に邁進していた自分に気持ちよく区切りがつき、これからは開業医として患者さんに寄り添い向き合うことを決心できました。
今まで感謝の気持ちを伝えられませんでしたが、5年間もの長きに渡り、本当にありがとうございました。
(令和2年5月号)