真柄 穎一
2007年からスペイン語を習っている。当初は語学学校でTVモニターを見ながらのグループ学習で、それなりに楽しかったが、現在は個人レッスンでValladolid出身の初老の教師に付いている。外国語の教師は一般に生徒を大袈裟に褒めて授業を進める感があるが、この教師は褒めない。馬が合うというか、長続きしている。
以前、家族旅行でMadridを訪れた事もあり、語学練習のつもりで、一人旅を計画した。2010年、GWを利用して、往復の切符と到着地のホテルを予約して(自身でホテルに電話して、電話でなくても簡単に予約出来る時世であるが、パソコン無しでも一生を終えることが出来る筈というイチガイコキ精神を持って)出発した。Barcelonaの鉄道駅前のホテル到着。チェックインまでは問題なし。目的地、Pamplona(牛追い祭りで有名)迄の交通手段の決定に手間取り(バスの窓口の言葉が全く理解出来ず)、鉄道の切符売り場で教師に教えられた通り、明日の、午前中の、Pamplona迄一枚、お願いします、と、指一本を示して一枚を強調して注文。何とか購入しPamplonaに無事到着。駅の表示はスペイン語のPamplona、バスク語のIruñaの二つの表示。外国に来たことを実感。旅行案内に出ていたホテル迄タクシーで、着いてみたら基本料金内。バックパックに履き慣れたトレッキングシューズとあまり美しくない着慣れたウェアを門番に咎められるも無視して中に入る。教えられた通り、今晩、一名、空き部屋を与えて頂けますかと、出来るだけ丁寧な言葉で。無事宿泊、夕食はスペイン流に前菜、主菜、デザートを注文。生鮮白アスパラガス(多分茄でただけの)塩、コショウ、オリーブオイル、マヨネーズ添え。太くて長くて感激。乳呑み子羊のasadoは極上品。地のtempranillo種の赤ワイン、奮発して上等品をフルボトルで。大満足して入浴も忘れて就寝。
翌朝、宿酔気味なるも快調に起床。トレッキングで峠を越えてPuente la Reinaまで23.5km、6時間で到着。途中巡礼路のボランティアに花の名前、この先の山道の状況、歩き方を教えられる。到着後、何の変哲もないBarで生ビールとスペインオムレツ。空腹と安堵感もあり、とても美味。予定通りバスでPamplonaに戻る。鉄道駅で翌朝のBarcelona行きの切符を買い、前日と同じホテルに泊まり、翌日Paris経由成田まで。
帰路、成田Expの車内でビールを開け、ヤッタネ、と近くの乗客に聞こえない声で叫んだ。初めて、独力で海外を往復し、全ての行動は自分の意思で決定し、その意思はスペイン語で伝え、目的のトレッキングを終え、今にして思えばロクに喋れず、聞き取れず、よくもまあ無茶な旅をしたものと思うが、一面、自分の好きな単語である、独立心、希望、喜び、を同時に求める事が出来るのは一人旅、と強く感じた。
2011年、大震災の春、ピレネー越えのトレッキングを計画した。この峠越えは初心者には一日では無理。途中の山小屋で一泊すべきと案内書にある。その電話番号を知る為に、フランス側の出発地の観光協会に電話した。その事務員は英語はダメ、こちらはフランス語は全くダメ。双方共理解するのは初歩のスペイン語。それでも何とか番号は知り得た。電話に出た山小屋の主人は、やはり初歩的なスペイン語で、電話では受け付けず、インターネットです、の趣旨を話した。電話では用をなさなかったが、フランス人とスペイン語で会話出来た事は嬉しかった。
成田を昼過ぎ発、パリに早朝着。空路Bordeaux迄、そこから鉄道でHondarribia経由国境の村、St.-Jean-Pied-de-Port迄、その日の夕方に着。
今度はフランスで鉄道切符を買わねばならぬ、多分、英語では売って貰えないだろうと思い、一か月間フランス語教室に通学。フランス語の不快な響き、難しさに唖然。いざ、駅に着くと切符売り場は何処にもなく、自販機のみ。全く分からず、呆然としていたら現地風の男が訛りの強い英語で教えてくれ、非常に感謝。お礼のチップをあげたものかと迷っているうちに立ち去ってしまった。
スペイン国境に近い小さな村で、小さなホテルは幸いスペイン語で泊まれて大助かり。鱒のフライと地の赤ワインが美味。翌朝、巡礼路の出発地の案内所で注意事項を聞き(各国語の話者が常駐。スペイン語を選択、但し日本語はなし)、巡礼地で押して貰うスタンプ用紙とシンボルのホタテの貝殻を受け取り、寄付金を差し出し出発。幸い好天に恵まれ、ピレネーの美しい花々と景色を楽しみ、途中大きな動物の骨(多分、馬の)を写真に撮り、また、近道をしようと道を外れ、放牧動物の細い道を進み、馬に脅されながら何とか国境を越える事が出来た。国境近くでデンマーク人と会い、日本の原発事故、津波の事を話しながら歩く。此処には何の事務所も税関もない事を言うと、ユーロ圏ではパスポートは不要と言われ納得。また、上り坂で出会ったフランス人に「お前のリュックの担ぎ方はおかしい。歩く度に左右に揺れる、直すべき」と言われた様な気がするフランス語が聞き取れた。少しの間一緒に歩き「登りだけの道は納得するが、アップダウンは心にも体にもきつい」と言うと、同意した様な言葉が返って来た。トレッキングの途中、幾つかの墓標を見た。全て巡礼者の物である由、後で知った。何時の時代の物かは判断出来なかったが、以前は現在とは比較出来ない程困難を伴う旅だった事は容易に想像がつく。現在は分岐路、分岐点は疎か路傍の石にまで黄色の矢印が記され、余程の嵐か積雪でない限り見落とす事はない。また、主要な道路にはホタテ貝の印があり、巡礼の気持ちが深まる。ピレネー越えは現在でも途中人が居る休み処はなく、無論宿もない。健脚者であれば早朝フランス側を発ち夕方にスペイン側の最初の村に着くと案内書にあるが、初心の巡礼者にとっては不安材料が多い。幾つかの墓標の中には日本人の名前が日本語で記されていた。荼毘に付されたか、日本に帰ったかは不明であるが、ピレネー越えは今も昔も難所であるにことに違いはない。一礼して通り過ぎた。
スペイン側の最初の村、Roncesvallesでの一泊は巡礼者用のベッドとシャワー、トイレのみのalbergueと呼ばれる宿に泊まり(5ユーロ)、近所の定食屋に行き10ユーロの夕食、パン、チキンのソテー、フレンチフライ、カップアイス。ワインは好きなだけ。軽口、フルーティーで、決して悪くない赤。地産地消のせいと解釈。近くの席に昼間のフランス人が居る事に気付き挨拶、やあやあと握手。都会の真ん中ではあり得ないが巡礼路ではあり得る。同じ目的を持った者同志の心の交流だろうか。
次の中継地、Pamplonaでは昨年泊まったホテルに投宿し、その後、Barcelona、Paris経由で帰国。ピレネーの自然の景観を楽しみ、他国の人々との出会い、接し方等、得る物の多い旅であった。巡礼路では一人旅の人も多く、中には、パリから一人で歩いて来たという、信じられない様な日本の若い女性にも出会った。一人で居る心地良さ、全て自身で対処し、自身で決定する冷静な心。旅は一人だ。
2012年、PamplonaからBurgosまで202km、平坦な小麦畑が続くMesetaの台地。少しのアップダウンのある乾燥した、或る意味辛い巡礼路。長い所では35km歩かねば次の宿に着けない所。BarcelonaからPamplonaまでは容易な列車旅、スペイン人は車内でも携帯でお喋りを楽しむ。よくもまあ話題が尽きないものだ。
Puente la Reina迄は一度歩いたから、バスで移動。Puenteは橋、Reinaは王妃の意。11世紀半ば、この地を治めるNavarra王の妃、Doña Mayorにより巡礼者のために架けられたといわれ、現在も当時のままの姿が残っていると推定されている。此処から歩行開始。歴史を感じさせる石橋の袂のヒナゲシの赤い色が印象的。また、至る所に咲いている黄色のエニシダ(ラテン語、genistaが転訛したスペイン語、hiniestaから)を見て、スペインから日本に入った語、マント、パラソル、カルタ等を思い出し、また、アマポーラ、ゴロンドリーナ、クカラッチャ等も日本で知られているかとも思った。Estellaを通過して、3kmの所にIracheの村があり、地元のワイナリーが巡礼者のために無料でワインを提供している。ボトルに詰めても、その場で好きなだけ飲んでも良いが、巡礼中は重い荷物を余計に持つ余裕はなく、また、酔う程飲んでも結局自分が苦しくなるのだから、少し頂くのが礼儀なのかと思った。Los Arcosを通り、Logroñoでは少しだけ高級なホテルで一泊。赤ワインの有名な産地なので地ワインを注文。アロマの複雑さとそのボディのどっしり感を誉めちぎると(少し酔った勢いで、と、然程の知識も持たない自分であるが)ワインセラーに案内され、古いコレクションとその数に圧倒され、酔いも醒める思いがした。後日、東京の或るスペインレストランでその話をするとすぐにそのホテルの名を言い当て、有名なホテルである旨、知らされた。Najeraで一泊し、次のSanto Doming de la Calzadaではスペイン国営のホテル(パラドール、正式にはParador nacional de turismo)に宿泊。16世紀に造られた巡礼者用の救護施設を改造したもので、その調度品の古さと格調の高さに感銘を受けた。
次の村Beloradoに向かう夕暮れ時、冷たい雨と北風で冷え切った身体に、宿の従業員から渡された紙コップに入った、ただのスープに感極まって、涙だか鼻水だか区別の出来ない一筋に気付いた。二段ベッドで寝袋を取り出し、確かバックパックに入れた筈のその収納袋が翌朝出発時に玄関のカウンター上にあった事は未だに不可解だ。多分、誰かが拾ってカウンターに置いたのだろうけれど。また、この宿では濡れた巡礼者の雨具を玄関で受け取ると直ぐにハンガーに架けそれを手際良く長い竿で高い所に吊るす。翌朝、出発時にはすっかり乾燥しているので有難いサービスだ。5月というのに薪ストーブが心地よく燃えていた。
その次の村Agès(英語では主に年齢、年、時代を意味すると思うが、スペイン語ではただの固有名詞、アヘスと読む)が遠くに見える丘に差し掛かった時、その村の空に黒雲と稲妻が見え、みるみる近付いて来たかと思うと、雨具を取り出す間もなく強風と霰に見舞われ、嵐の中でそれを纏い、前が良く見えない状態で歩行。一軒の巡礼宿と教会と20軒ほどの農家の小さな村。夫婦で営む小さな宿、泊めて下さいと言う間もなくその主がバックパックを持って2階の部屋に案内してくれた。部屋といっても雑魚寝の空間、性は区別せず、5人部屋が2つの小規模の宿。幸いシャワー完備で大助かりだが、この夫婦の会話は全く理解できず、また、シャワーの説明なのだろうが殆ど不明、多分こう言っているのだろうと勝手に解釈して使わせて貰った。夕食はトマト味のスパゲッティ、主菜はビーフかチキンの選択、デザートはオレンジ丸ごと1個。赤ワインは好きなだけ、それとパン。朝食はパンとミルクコーヒー、1泊2食で15ユーロ。スペインは日本と比し、食、住は安い感じ、衣は興味が無いので分かりません。公共交通機関は大体日本と同じ。食に関して、パン、チーズ、ハムは段違いにスペインの勝ち、卵は同じ。
少し、卵の話。昔、子供の頃食べたコクと旨味のあるそれは今はもう無いが、その味の再現のために鳥小屋作りを依頼し、日照たっぷりの砂の運動場、屋内運動場、夜の止り木に雌鶏だけ5羽。雄鶏が居ると抱卵して取り上げるのが可哀そうだから。この卵はとても美味、庭掃除で見つけた小昆虫は其の儘、彼女等のおやつに。特に卵で腹の膨れた蟷螂は気が狂った様に取り合いの大騒ぎだ。しかし、目玉模様のはっきりした梟柄のセーターを着て小屋に入った時の彼女等の狼狽の様には、まずい事をしたと反省させられた。徐々に数を減じ、最後に産卵しなくなった1羽は鼬の餌食となった。今は、鶏は居ない。旅に出れば世話をする者が居ないから。
普段、日本ではパンは食べない。しかし、スペインでは喜んで毎食食べる。歩いても歩いても地平線迄全部小麦畑なのだから美味しいのも納得だ。特に香ばしさは日本のパンには無い物がある。また、便利な事に夕食のパンを少しだけ残し翌朝、食事の準備が出来る前に出発する時、そのパンと水だけで済ませ、誰よりも先に歩き始める事が出来る。早めの昼食にビールとスペインオムレツを摂れば胃が喜ぶし、その持ち主も嬉しい。休憩後、また歩けば早めに次の村に着けるから、ベッドは満床、のサインを見る憂き目に合わなくて済む。
Burgos迄24km、この頃の体力では平坦路ならば4時間で。宿の無い所では1日で35から40kmを歩かざるを得ない場合もあり得る。因みに、自宅から萬代橋まで13km。5km毎に5分の休憩を取って、最速1時間56分で可能だ。以前は日曜日にはトレーニングに励んだものだ。
Burgosで1泊。此処の大聖堂は見事。宗教に興味が無くても外見、内部の美しさは特筆もの。また、門前のレストランでは子羊と子豚のローストが食べられる。観光地特有のリピーターを望まない店ではない。Burgosに行くと必ず利用する、安くて親切で気軽だが落ち着いた雰囲気で、味は極上だ。スぺイン語教師もBurgosは子羊の美味しい地と言うから独断ではないらしい。地元のレストランガイドにも載っているからお勧めだろう。この度の巡礼は此処まで。BurgosからMadridへ。
フライト待ちの一泊。子豚の丸焼きで有名なB.と言うレストランへ。1725年にオープン、世界最古のレストランとして、ギネスブックに認定。作家Ernest Hemingwayが常連だったらしい。小説『日はまた昇る』にも登場する。外国人観光客で大混雑、予約の旨を告げても知らん顔。メニューは中々立派、スペインでメニューをお願いしますと言うと、その日の定食が出て来る事があるのでCarta(日本語発音、かるた、とほぼ同じ)と言う方が良いらしい。ワインも各種取り揃え。出てきた子豚はそれなりに美味なるもこれなら他でも食べられると思った。古くて有名だから1度は行っても良いとは思うが、軽井沢のM.とか言う老舗ホテルと一緒で、此処でなければならぬということはない。
親豚の肉の話。スペインのロース肉のソテーは日本と少し違う。周辺の脂身を全部外して赤身の丸い部分だけ4~5枚と、フライドエッグとフレンチフライとチョリソーが附いてくる。一寸昼食のつもりで注文すると夕食が不要な位満腹する。尚且つ安い。Madrid駅構内レストランで妻が注文したものを見た印象(その後妻と北スペインを旅した時の話)。この時の旅行記は書けば更に長い話になる筈。生まれて初めて自費でファーストクラスに乗って後悔した話。少し面白い。
ついでに牛肉について。日本の牛肉は2種類に分けられると思う。1つは輸入の赤身で、もう1つは肉だか脂だか分からないサシの入った物。サシと言うと子供の頃、釣りで用いた蛆虫の事。1口目は美味しい事もあるが全部は無理、直ぐによっぱらになる。酔うのではない、飽き飽きする事だ。スペインの肉はやや噛み応えがあり、十分に熟成されていて、自分の好みの焼き方を注文すれば必ず満足できると思う。日本のTVで、日本にも赤身肉があるも中々流通に乗らないと知った。
もう1つ、ついでに兎肉。スペインの肉屋では普通に売られている。全身剥がれて、元は白かったかどうかは不明なるも因幡風の兎が歯を食いしばって店先に並んでいる。養殖物が殆どで味は淡泊。キッチン付きのホテルで塩、胡椒で強めにソテーし、思い付きで黒ビールで煮込んだ肉は結構いけた。
チキンはどの宿屋でも、レストランでも選択肢の1つだが日本と何ら変わらない。
Paris経由で帰国した。
2018年4月、長期の休暇を貰って巡礼路を歩いた話。フランスから国境を越えてBurgos迄は既に終えたので、MadridからBurgosまではバスで、慣れた路線なので順調と思いきや、バスターミナルで切符売り場を探すも窓口で何かを言われ、何かを指さすも分からず。困り果てて近くの旅行者に尋ねるも分からず。近付いて来た有色人(色を述べると人権侵害と言われる世になった)が助けに入り、何処迄、何人、何時ごろと矢継ぎ早に問われ、タジタジの状態で答えると其処は切符の自販機のすぐ近く。21ユーロと少しの金額なので50ユーロ札を渡すといとも簡単に買ってくれ、釣りの18ユーロと計算の合うコインを渡してくれ(ここがおかしい、後で気付いた)、別れようとすると、ちょっと待って、このまま行くのかい?と言われ、ああそうかチップの要求かと思い10ユーロを奮発した。しかし、1ユーロで充分だったのだ。あいつは多分指先の器用な詐欺師だ。旅先での釣銭のトラブルは間違いというよりむしろ故意の物が多いと思うべし。もう1度のトラブルはBarcelona のRamblas通りで経験したが、この時は近くに居た警官に相談しようとした直後に解決した。
バスで2時間少しでBurgosに着き、ターミナル近くの以前泊まった事のあるホテルで一泊。近くのレストランで好みの子羊のローストと、明日からは体力勝負の歩行なのでワインはハーフボトルと思ったが給仕人が持って来たのはフルボトル。ハーフの値はフルの2分の1でない事を知っているからついケチな根性が出たのだろう。
早朝といってもこの時期既に夏時間で6時はまだ暗いので、夜明けを待って出発。何となくバックパックの重さが気になり、途中、徐々に歩行速度が落ち、次々と後続の巡礼者に追い抜かれた。増々バックパックが重く感じられ、とうとう持っていた非常食と果物を捨て、何とか宿泊の村に着いたが、雨が降り出し、最初に目に入ったのは宿の入り口に満員の文字。いやな気分でもう一軒を見ても同じ、さて困った。次の村まで5km、歩く気力、体力なし。近くのBarに入り泊めて下さいと言うも断られるのは当然のこと。しかし、親切な事に、少し戻ると教会があるから行ってみなさいと言われ、丁寧にお礼を言って行ってみると矢張り入り口にFullの文字、中にはイタリアから来た5人グループが、同様に宿を求めて女主人と話していた。彼女はこちらを見て、ビールでもジュースでも自販機があるから兎に角座って待て、次いで、心配しないでと言われた時、身体から力が抜けていく思いがした。暗に、ベッドはあるよ、と言っていると思ったから。イタリアのグループがタクシーで次の村に向かうと、彼女はパスポートの提示を求め、ベッドの番号を教えてくれた。何という幸運。すぐ前にあるBarでビールとオープンサンドの大きいサイズを求め、少し夕食用に残して宿に帰り、夕方7時にはベッドに入ってしまった。この日はシャワーもなし。兎に角休みたかった。翌朝、夜明けにパンとミルクコーヒーを摂り、パンを少し残し(途中空腹時に食べる)出発、途中、日本の若い巡礼者に会い(一人で歩いていた)、その足取りの軽さに驚き、また途中、大型バスからゾロゾロと観光客が降り立ち、一緒に歩き始めた。服装はスーツ姿の人、普通の革靴、ハンドバッグを持ったスカート姿の女性等、凡そ巡礼とは程遠い姿の人々。別に異論はないけれど、何となく、少しだけ、居て欲しくない人間を見た気がした。旅行案内にある、短距離を歩いて巡礼の雰囲気を味わい、800kmを歩ききった気になる似非巡礼者とみた。日本でも同じ内容のDMを見た事がある。でも、その連中に遅れをとる事を自覚して(重いバックパックを背負う不利な条件を鑑みても)、体力の衰えを痛感させられた。
次の宿泊地、Hontanas。雑魚寝でなく、個室に泊まりたかったので小さな1つ星のホテルに。午前中に着いたのに既にほぼ満室。巡礼路に似つかわしくないスーツケースが多数置いてあり、成程、今朝見た連中の様なグループが部屋を予約しているのだと合点。トリプルベッド1部屋だけ空いているとの事で迷った末決め、早速シャワー、洗濯。夕食時、ドイツ生まれ、ニュージーランド育ちのリタイアした小児科医と暫し巡礼について話し、それを楽しんでいる様子を感じ取り、また近いうち、日本の88の何とかと言う所に歩きに行くとの事。オヘンロと言う言葉が両者に通じた。食事中、彼の生い立ち、仕事の事、リタイア後の生活。こちらの昔、仕事で苦労した事、巡礼路での出来事等、食事中ずっと話合えたのは同業者の誼もあるが、非常な喜びと驚き。中卒程度の英語に付き合ってくれたDr.に感謝する。
旅は一人だ。
彼の話から、現在の巡礼は、宿泊地は事前に予約するのが無難な事、似非巡礼者の存在が雰囲気を損ねている事、巡礼宿が屡々満室になっている事等の情報を得た。この情報が自分の信条を覆す大きな要因となった。生涯、PCなしで生活出来ない筈がないという信条から、ガラケーさえ持たない巡礼路では予約は出来ない。仮に出来ても必ずその日の内にその宿に着かねばならぬ。体調が良くて、条件が合えば、予約なしの旅なら更に先の村まで、頑張って歩くという大きな利点がある。疲れて歩けなければ、そこにある宿に泊まる手もある。10年前とは状況が変わっている。
宿の入り口にバスの時刻表が貼ってあり、朝、夕1便ずつBurgosに向かう事を知った瞬間、日本に帰ろう、来年もう一度トライしてみよう、という思いが沸き上がり、即、Burgos行きのバスを待った。
Madrid、Paris経由、日本に戻ったが、家族の困惑の様が見て取れた。何故、スペインの他の地を旅しなかったかと。
2019年4月、再チャレンジの年。昨年から痛みのある膝関節。先輩の整形外科医に、典型的関節症で、一時的に軽快しても長距離歩行は不可との診断。以前には1日で35kmを歩けたのに今では1kmでも痛みが来る。しかし、是非Santiago de Compostelaに行ってみたい気持ちは強い。そこで、巡礼路に沿ってバスで旅する事を思いついた。巡礼の精神にも劣る事は承知の上。Madrid2泊、Burgos2泊、Leòn2泊、Santiago2泊ならば外来診療3日間休めば何とかなる。親方に休暇を願い、旅行社へ。Madridは大都会なので、また、Santiagoでは泊まってみたいParadorがあるので事前に予約。バスとBurgos、Leònのホテルは現地で手配と決めて出発。最近は成田─Madrid間は直行便があるので14時間は少しきついが、乗り継ぎ時間が節約出来るので便利。空港から市内のホテル迄のタクシーは定額30ユーロと高いが安心出来るしチップも不要。Iberia航空のAirBus、機体は少し狭い、航続距離を出す為には小さめの機体が良いのだろうと肯定的に考える。食事はそこそこ。Spain産の赤ワインの選定は秀逸(当たり前だろうが)。土曜の午前11時に成田発、Madridには現地、土曜の午後6時着、少し古いがリピーターの多い都市型ホテルに宿泊。従業員の笑顔が良い。気さくに話しかけて来る。朝食時、旅の目的は仕事か観光かと問われ、観光ですと答えず、私は退職者ですと言える余裕を与える気遣いが安心感を抱かせる。また、Spain全体にいえるがパン、チーズ、ハムはどのホテルでもそれなりに、日本のホテルにない品揃えと質の良さが感じられる。特に、本日のチーズとして供される物がある事に感激した。
今回の旅の目的の一つ。Spain産赤ワインを飲み比べる事、また、産地による子羊の味の差が分かるかを果たす為の旅でもある。4都市の夕食に必ず1回は子羊のasadoを食べた。好きな食材だから飽きない。皆様は焼いた羊の臭いがネ、と、おっしゃると思いますが、生後2、3か月の乳のみ子羊は別物です。Madridでは大振りの大腿1本、Burgosでは肋骨周囲1個と肩肉、Leònでは大腿1本、Santiagoでは下肢丸ごと1本。各都市夫々に美味なるも、Burgosでは注文すると調理場から肉をカットする音が聞こえて来て、それだけで期待感が高まった。レストランでソムリエがワイングラスを用意する時のグラスの触れ合う音を聞くだけで喜ぶ耳の持ち主だから。肋骨周囲の(割箸の半分位の太さ)肉を指を使って歯で掬い取りながら食べるのは印象的。給仕人に首より上の顔は食べられないのかと尋ねると、家庭では普通に食べるが、レストランでは見る事は無いでしょうと。モンゴルでは1番の上客に目玉を供すと聞いていたので尋ねてみた。また、Santiagoの大腿、下腿丸ごと1本供されたのは驚きであり、歓喜でもあった。Leònでは皮の焼き方が絶妙。かりっとして中はふんわり(子羊だから当たり前か)骨の周囲まで十分に火が通り、良く見られる肉汁に血が混ざる事無く楽しめた。
Spainの赤ワインで印象に残った物はTempranillo単味か、Merlot、Garnaccha Tinta、Cariñena、等をブレンドした物であった。比較的若い物が飲まれている様だ。但し、Rioja地方では、若飲みのVino Joven、2年熟成のCrianza、3年のReserva、5年以上熟成のGran Reservaと決められているが、Franceの様に50年物、或いはそれ以上といった物があるか、知識がない。もし、赤ワインが好きで、Spainで飲むならばTempranilloがお勧めと思う。輸入された物は温度管理が不適切だったり、何よりも長時間微振動を与えられるという弱点がある。だから当然、輸入物は品質が落ちてしまう。地産地消はワインの為にある言語かも知れない。Leònで勧められた、土着のブドウ、Mencía種で造られた赤ワインは、今まで経験した事のない、少し土の匂いがする、充分に香り立つ、やや太めのボディの、Bourgogneの赤の様な優しさとは違う、強い、また、Bordeauxの赤の優雅な香りを想起させる様な、好ましいと評すれば、お前に何が分かる、と本物のソムリエに咎め戒められる事だろう。
ゆっくりと給仕人と話し、お勧めワインを聞き出し、良い結果が得られた。旅は一人だ。
Santiago de Compostelaは巡礼の目的地。荘厳な大聖堂を写真に収め、シンボルのホタテの貝殻のレリーフに触れた。周囲には800kmを歩き切って感極まる人、大聖堂の門前に祈る人、祈りながら膝行る人、グループで喜びを分かち合う巡礼者を見やり、バスで来てしまった後ろめたさを強く感じつつ空路Madridに戻り、日本に帰った。
今回の旅を終えて、ドキドキ、ハラハラ、さて困った、如何したものか、もう一人旅は嫌だと思う経験もした。が、しかし、回顧すれば中々の冒険旅行だった。もう一度行くかと問われれば、行くと答えるだろう。
一人旅には自由がある。楽しめる味がある。旅は一人。だ。
(令和2年8月号)