上村 桂
『菊とバット』の著者、ロバート・ホワイティングは、日本人が野球好きの理由の一つに、統計好きを挙げている。昨今のコロナ騒動の報道をみると、何かうなずけるような気がする。毎日のようにマスコミ報道に数字が踊り、国民はその変化に一喜一憂している。小生もそれにのせられているきらいがないではないが、少々反省をこめて検討してみる。
各種現象を数値化すると、比較が容易になる事は確かである。しかし、この際、その数値が比較に耐えるものか検討が必要となる。
まず問題となるのは、その数値の信頼度である。%の比較は良く行われる。しかし注意してみると、その信頼度は大きく異なる。同じ50%でも1/2は0/2にも2/2にも容易になりうるが、50/100は0/100や100/100には中々間違われる事はない。%値の表示だけで母数を示していない%はまず比較に耐えるか考えてみよう。
次に対象集団の選び方の問題である。比較に当っては、比較の対象とする項目以外は、出来るだけ似せる事が必要である。何故なら比べたい結果に影響を与える他の因子が含まれている危険があり、特定が困難である。
数値の比較には、その数値の生い立ちからの検討が必要である。
新型コロナウイルス感染症(以下「コロナ」と略す)は新しい感染症であり、当然の事ながら過去の経験・知識の蓄積がない。また、特効薬も発見されておらず、ワクチンも開発途上ときく。対策を行う上で重要な課題である。
「コロナ」対策の公衆衛生上施策を行うためには種々の事業が考えられているが、多方面の関連対策も必要となる。対策の規模からして、費用・便益効果の検討も必要であろう。
「コロナ」の解決には残念ながら現在ではいろいろなネックがあり、腰をすえた長期対策の実施が必要であろう。
(令和2年10月号)