阿部 志郎
先日、自分の部屋で47年前の古い時刻表をみつけた。
国鉄監修・交通公社の時刻表、1973年(昭和48年)版の7月号である。
表紙の写真:中央線全線電化完成した木曾川沿いを疾走する特急“しなの”の勇姿である。
当時の時代背景:新幹線は山陽本線の岡山駅止まりで“ひかりは西へ”のキャンペーン中。
新潟県の盲腸線:弥彦線(東三条~越後長沢)、赤谷線(新発田~東赤谷)、魚沼線(来迎寺~小千谷)などが廃線になる前の時代である。懐かしく索引地図を眺めた。
全国的には:国鉄で青函航路(青森~函館)、宇高航路(宇野~高松)、仁堀航路(堀江~仁方)がまだ運行していた。石川さゆり“津軽海峡冬景色”が流行する前である。
時代的には:狩人“あずさ2号”の歌詞“8時ちょうどのあずさ2号で私は私はあなたから旅立ちます”どおり新宿駅発松本駅行き“特急・あずさ1号”が中央本線を走っていた。全国に多数の特急・急行・夜行寝台ブルートレインが走り回り鉄道全盛時代であった。
大好きだった急行“赤倉”(新潟駅~名古屋駅)に乗って追憶旅行にでてみよう。
新潟駅プラットホーム9:05発のキハ58系ディーゼル急行“赤倉”10両編成が待機。車体をクリーム色・窓枠をオレンジ色の明るい色合いがホームを明るくしている。
定刻になり、独特のディーゼルエンジンの音をひときわ大きく、青白い煙を屋根から吹き上げ甘酸っぱい匂いを漂わせてホームを後にする。
夏の越後平野へ出れば、緑の稲田が真っ青の夏空と景色を二分する。窓は開放されている。
真っ直ぐの強い陽ざしが夏を車内に持ち込む。遠くに弥彦・角田山の寝姿が見える。
長岡駅10:00着。信濃川を渡り山中を抜けると左手に富士山型の米山が姿を見せる。
柏崎駅10:32着。鯨波海岸を通過すると右手に日本海の大海原が広がり単調となる。
柿崎駅10:49、直江津駅11:06を過ぎると登り坂となり右手に頂上が山の字を思わせる妙高山が伴走し妙高高原駅11:56着。続いて左手に野尻湖、右手に黒姫山の山塊を眺めながら坂を下ると善光寺の屋根を模した長野駅に12:41着。
ここから見せ場である。12:43長野駅を出て川中島駅を通過、12:52篠ノ井駅を後にする。畑中を走り右手の山裾に接近し、丘陵を直線斜めに滑りあがり始める。
ディーゼルエンジンの音が力強くなり少しずつ高さを増してゆくと民家の屋根越しに沢山の棚田(田毎の月)が広がり視界が開ける。善光寺平が一望でき中央に千曲川が白く帯をなし川中島古戦場を中心に周囲のアルプスで囲まれた大パノラマが眼前に広がる。スイッチバックの姨捨駅引込線を無視し一気に急勾配を10両編成のキハ58系が駆けぬける。最高点で山塊が絶景を遮ると列車はトンネルに入り松本駅へ舵を切る。松本駅13:58発…高原を駆け抜け塩尻駅14:16発…方向転換し分水嶺の鳥居峠をトンネルで抜け奈良井駅を通過する。右手に木曾川上流の渓流が列車に伴走する。緑豊かな木曽路を下って行くと木材集散地・木曽福島駅14:30着。その先の上松駅通過後“寝覚めの床”岸辺に並ぶ直方体の白い巨巌群が緑の水面に映える。中津川駅15:55、多治見駅16:37を過ぎ木曽川下流へと駆け下り、森永製菓広告塔のある名古屋駅に17:09到着した。
(令和2年10月号)