大滝 一
はじめに
新型コロナウイルス感染症の世界的流行で、以前のように海外旅行ができるのはいつになるやら?というのが現状ではないかと思います。
そこでといってはなんですが、この寄稿をお読みいただき、ひと時だけでも旅気分に浸っていただければと思います。
今回は、皆さんあまり足を運んだことがないと思われるエジプトです。古代ロマンを求めて、さあ一緒に出かけましょう!
出発まで
2018年10月のある日曜日、新聞広告の中にある旅行会社のチラシが入っていました。海外旅行コーナーは、中欧、フランス、イタリアなどの他に台湾、シンガポールに加え「エジプト世界遺産紀行6日間」という案内がありました。
世界的に訪ねてみたい処はたくさんありますが、その中でも、今まで見てきたサグラダファミリア、モンサンミシェル、兵馬俑などと並んで、ピラミッドとスフィンクスがあります。
このエジプトの広告に自分の中の何かが直感的に反応し「これは行かねば」となりました。今までアフリカに行くことなどは考えもしなかったことですが、ここ数年でヨーロッパやアジア方面に旅行し、海外旅行も少し慣れてきたことと、成田発着で添乗員同行ということも心強く、あっさりとすぐに「行こう!」となりました。家内にも声をかけましたが、都合があり西安同様、今回も一人でお初のアフリカに行くことになりました。
出発日は2019年2月8日(金)で、連休を挟んで、帰りが2月13日(水)でしたので、当院のお二人の先生に1日半の診療をお願いし、出かけることが可能となりました。お二人には心より感謝申しあげます。
電話で申し込みをし、ビジネスは満席のため往復エコノミーで、お一人様追加料金3万円を加え25万円弱とのことでした。その後大まかな旅程表が送られてきました。ここでちょっと心配だったのが、午後の飛行機で新潟を発ち成田で乗り継ぐというものでしたが、成田着が15:45で、成田出発が17:25という時間の問題でした。約1時間半はどうかな?荷物が出てくるまでの時間、国内線と国際線のターミナルの移動時間などから、場合によっては厳しいと思いました。天候の関係で新潟発が遅れた場合はエジプトに行けないことになります。そこで、新潟から成田までは新幹線と成田エクスプレスで行くことにし、新潟・成田間の往復の飛行機代を返金いただくことになりました。
そうしているうちに、帰りのビジネスが取れたとのことで、長時間の飛行を考えるとありがたかったです。ちなみに往きは成田・アブダビ間が12時間半、アブダビで乗り継いでカイロまで4時間でした(写真1)。帰りは偏西風のおかげで2時間半と9時間でした。
アブダビ、そしてカイロへ
アブダビ空港には深夜に着きましたが、大きなハブ空港で、ここからヨーロッパ各地に向かう日本人が多いとのことでした。日本からヨーロッパ直行便ではなく、料金が手ごろのUAEのエティハド航空を利用する人が多い、と添乗員さんが教えてくれました。
アブダビでの約2時間の乗り継ぎ待ちを含め成田からカイロまで18時間でした。熟睡は出来ず、なかなかつらい時間ではありましたが、機内サービスの音楽の中にEamonn Karranというアーティストの「I’ll Be With You」がとても心地よく(写真2)、繰り返し聞きました。帰国後Amazonで彼のCDを4枚購入しました。これ案外と好いですよ!
さて、いよいよカイロです。日本との時差は7時間。早朝の5時過ぎに着きました。まだ夜が明け切らない時間で、思いのほか寒かったです。ダウンジャケットを持っていって正解でした。この時期のカイロは最低気温が5~10℃、最高気温が20~25℃とのことで、アフリカは暑いという印象ですが、この時季の気温には注意が必要です。
添乗員さんの話では、カイロのホテルは冷房はあるが暖房はないそうで、日本から来た人は朝寒い思いをする人が多いとのことでした。ただし、6~9月の夏は連日40度を越えるそうで、日中の観光はできないそうです。
空港を出るとまさに周りのすべてが砂漠でした。空気は砂塵のためかかすんでいました。エジプトは国土の93%が砂漠で、人が住めるのは国土の7%しかなく、砂漠の中に町や空港があるといった感じでした。
初日(ピラミッドに入る)
さて、一旦ホテルに荷物を置き朝7時過ぎから観光に出かけました。カイロピラミッドホテルというだけあって、ホテルの前から3大ピラミッドのうちの2つが見え(写真3)、この時点で既に大きな感動を味わいました。そのピラミッドについては後述します。
まずはダハシュールにある屈折ピラミッドに向かいました。ピラミッドが建造され約4千年、その中ではわりと早期に作られたもので、ギザの3大ピラミッドに比べれば知名度も低く観光客も少なくゆっくり堪能できました。
とにかく、一つひとつの石が大きい(写真4)。この石一つを運ぶのさえ大変と思われました。ピラミッド一つを作るのに約20年かかり、石はナイル川上流から運ばれてきたそうですが、その建築方法の詳細はいまだに分からず、現代の技術をもってしてもピラミッドを作ることはできないそうです。古代人の建築の知恵、あな恐ろしや!
その後、高さ105mの赤のピラミッドに回りました。なんと、このピラミッドに入ることができたのです。まず写真の中ほどに見える入り口まで高さ30mを登り(写真5)、中に入ると一旦70mほど下り、さらに30mほど登るというものでした。その通路は狭く、かがんで歩かなければならず、翌日はツアー参加の皆さん筋肉痛でヒーヒー言っていました。勿論私も同様でした。
最終的にたどり着いた石室は12畳ほどの広さで、匂いが相当きつく涙が出そうでした。この石室ではゆでた卵が腐らないとのことでした。葬った王の腐敗防止のためと思いましたが、4千年もの間、この匂いが続いていると思うと、その工夫と仕組みに関して不思議でたまりませんでした。現地ガイドも分からないとのことでした。しかしこの匂い。どこかでかいだような匂いでした。そうです、解剖実習のときにかいだ匂いと似ていることに気付きました。それにしても古代人の科学の知恵にも驚きです。このピラミッドの中はカメラ持ち込み禁止です。ピラミッドの周囲は写真6のように見渡す限り砂漠、砂漠、砂漠です。
食事とツアーについて
さて、昼食です。エジプトでの本格的な初めての食事となります。おそらくカイロの中では中級以上のレストランと思われました。前菜、ライスと肉、さらにデザートと出てきました。飲み物はコーラをいただき、写真左のなす料理はまずまず美味しかったですが(写真7)、その隣の惣菜は気候を考慮してか、とにかくすっぱかったです。中央は現地ガイドがパンと言っていたもので、かなりすっぱい白いヨーグルトか味がなんともはっきりしないゴマ風味ペーストをつけて食べました。いずれも、「うーん」といった感じでした。
その後のソーセージと肉はまずまずでしたが(写真8)、新潟の美味しい米をいただいている人間にとってこのライスはやはり「うーん」という感じで残してしまいました。
旅行にいくと、大体は体重が1~2kg増えるのですが、この旅行では体重が2kg減っていました。その理由は何と言っても食事にあったと思います。そういえばエジプト料理って聞いたことがありません。それなりの理由があるということでしょうか。
昼食後、香水と硝子を扱う工房に寄り家内と娘にお土産を買いました(写真9)。
その後、これから3連泊するカイロピラミッズホテルに戻り、シャワーを浴び一休みし、早めの6時から夕食をいただきました。さすがに4つ星半のホテルだけあって、夕食のバイキング料理は美味しかったです。ビールを一本飲んだら、疲れのためか急に眠くなり、早々に部屋に戻り7時には眠りに落ちてしまいました。
今回のこのツアーは当初15人以上で催行の予定でしたが、7人しか集まらず、さらに12月末のカイロでのバス爆破テロ事件で3名のキャンセルがあり、最終的に4名となりました。それでも催行され私としては嬉しかったです。
他の3名は、いわき市で農業を営む傍ら武道の指南役をしている70代半ばのご夫婦と、銚子から来られた70代前半の女性と私でした。やや年齢が離れているものの、人数が少なかった分、親密となり楽しい旅行ができました。
驚いたのは、4名足らずのツアーリストに添乗員、現地ガイド、マイクロバスの運転手と3名が同行し、さらに毎日警察官が付いてくれることです。バスに同乗し、観光地を回るときも、私達から5~10mほど離れて警護してくれました。そのお陰でどこに行っても安心でした。本物のピストルを持っていて見せてくれたので「ちょっとでいいから持たせてほしい」とお願いしましたが、即座に断られました。当然です。エジプトは観光立国で、観光がだめになると国全体がだめになるとのことで、全てのツアーに警察官がつくのだそうです。警察官の仕事の場を作るのも一つの理由とのことでした。私達のツアーには、がっしりとした大柄なイケ面警官が付いてくれ、銚子からのご婦人が喜んでいました。
後編の「ギザの3大ピラミッド、スフィンクス、ツタンカーメン」へと続きます。
写真1
写真2
写真3
写真4
写真5
写真6
写真7
写真8
写真9
(令和2年11月号)