石原 清
目に余るカタカナ用語の乱用
昨今のカタカナ用語の氾濫は目に余るものがある。IT関係に目立って多いが、医学医療の世界も例外ではない。新型コロナウィルス関係では“クラスター”という言葉が連日紙面を賑わしている。当初専門家会議の先生方は“集団”と呼ぶには該当者が少人数であったことや、地域への不安や心配を和らげる意味で一般には馴染みのない外国語“クラスター(集まり/群れ)”という言葉をあえて用いたのであろう。感染者数が激増し同一施設内で数十人単位の新型コロナウィルス感染であっても“クラスター感染”と呼んでいる。感染者数に関係なく分かりやすく受け入れやすい日本語“集団感染”に今こそ言いかえるべきである。小池百合子都知事のオーバーシュート(感染爆発)、ロックダウン(都市封鎖)、アウトブレイク(集団発生)等々のカタカナ語は常軌を逸している。菅義偉首相肝いりの「Go To トラベル」に至っては英字とカタカナの混血語、文法的に適ってはいても“旅行に行くために行く”という英語圏の人ならおよそ使用しない節回しである。
一般に外来語は、①日本語同様に使われる言葉(インターネット等)、②言い換え困難な言葉(バリアフリー等)、③適当な日本語があるのにあえて使われる言葉(“小池ワード”)に分類されている。2000年12月国語審議会はその扱いについて「①はそのまま使用する、②は必要に応じて注釈を付すなど分かりやすくなるよう工夫する、③は日本語を使う」という考え方を示した。カタカナのような表音文字のないお隣の中国や台湾では、外来語に対してその言葉のもつ概念や実態に最もふさわしい意味の漢字に置き換えて新しい単語を編み出している。テレビを電視台、コンピューターを電脳、エイズを愛滋病と書き表すことはよく知られている。外国語を安易にカタカナにしていくならば、幾何級数的にカタカナ言葉が増えていくに違いない。一時的にカタカナにしておいて、後から適当な言葉に置き換えていくのも一法かもしれない。しかしいつしかカタカナが馴染んでそのまま日本語となった例は数知れず、中には漢字化したものもある。“瓦”がサンスクリット語の「kapala」由来であることはうなずけるが、“お転婆”がオランダ語の「ontembaar」を語源にしていたとは意外である。
ヘリコバクタピロリと膵臓
次に消化器内科の立場から、現代と江戸時代それぞれの時代に日本に移入された外来医学用語“ヘリコバクタピロリ”と“膵臓”についてその歴史を振り返る。胃に感染するヘリコバクタピロリの発見にまつわるノーベル医学賞受賞者のエピソードはよく知られているが、ここではヘリコバクタピロリというカタカナ名称について考察する。この微好気性グラム陰性菌は、らせん状(ヘリコ)の細菌(バクタ)で胃幽門部(ピロリ)に好んで住み着くことからHelicobacter pyloriと命名され、日本語ではそのままのカタカナ表示でヘリコバクタピロリと名付けられた。台湾の研究者はこれを文字通り“幽門螺旋菌”と漢訳した。ことの経緯を知った日本の消化器病学者が地団駄踏んで悔しがったという後日談を読んだことがある。英語をそのまま発音通りのカタカナに変えてしまう日本人の習性から、漢字に置き換えることは全く思いもつかなかったのであろう。日本語名で幽門らせん菌と呼んだ方がカタカナのヘリコバクタピロリより理解されやすく聞こえもよい。この微生物について受診者への説明もしやすく、除菌療法の同意も得られやすいかもしれない。しかしこれだけは今更改称はできず、関係した日本人研究者の責任は重い。
ヘリコバクタピロリに対峙するのが膵臓の“膵”という漢字である。「美酒が“五臓六腑”に染み渡る」とは愛飲家の間でよく耳にする言葉であるが、五臓とは「肝、心、脾、肺、腎」であり、六腑とは「大腸、小腸、胆、胃、三焦(架空の臓器)、膀胱」のことである。この中に膵臓という臓器は出てこない。膵臓は消化酵素とホルモンを分泌する消化器と内分泌器官と両者の機能を有する重要な腹部臓器である。胃の背側にあって右の十二指腸と左の脾臓に挟まれた後腹膜腔という分かりにくい場所にあって、かつ平板状の形をしていることから、中世まで中国医学史に登場することはなかった。一方、古代ギリシャでは膵臓の存在は知られていたが、胃の後方にあることからその役割は胃を支えるクッションであり、単に肉のかたまりに過ぎないと考えられていた。膵臓は英語でpancreasといい、“PAN”が全て、“CREAS”は肉という意味である。この東洋医学には不在のpancreasに対して“膵”という漢字を造字・造語したのは江戸時代後期の蘭医宇田川榛齋である。“膵”の「月」はにくづきであり、「萃」は“ひとまとめになる、集まる”という意味である。すなわち彼は伝来した西洋医学でのpancreas即ち“全て肉、肉のかたまり”という表意語から「膵」という新しい漢字を編み出したのである。近代中国では月(にくづき)に夷(えびす)で胰臓(いぞう)と呼び、夷は見慣れないものという意味だそうだ。一方膵臓は料理用語でsweetbread、短縮してカタカナでシビレとも呼ばれ、日本語化している。甘いパンのような味がするのかもしれない。
溢れんばかりの外国語の流入に曝されている現代では、日本語にない言葉の一つ一つに対して統一した漢字を造字・造語することは不可能であり、カタカナ言葉の使用は合理的で極めて便利である。それにより専門分野での最新の知見を紹介することや、専門家同士の意見交換も容易となる。しかし私達の職場において使用し“電脳”に入力する際には、どこかの知事のように一般に定着していない外来語を安易に使用することなく、できる限り古代万葉以来のひらがなと漢字での分かりやすい日本語を用いるべきである。
(令和3年1月号)