大滝 一
新潟市医師会報発刊50周年、600号の刊行、誠におめでとうございます。1971年(昭和46年)4月28日に第7代目会長の宮尾正雄先生の陣頭指揮で第1巻が発行され半世紀となります。現在に至るまで編集作業に関わられた先生、また投稿いただいた多くの先生方に感謝したいと思います。
私は2010年(平成22年)から編集委員を2期4年、その後3期6年は広報部長として10年にわたり会報の仕事をさせていただきました。いろいろありましたが、巻頭言や学術原稿の依頼、委員会内での協議、さらには新企画立案など貴重な経験を積ませていただき、そのおかげで現在の自分があると心から感謝いたしております。
さて、私は今までかなり多くの原稿を投稿し、その全てを掲載いただき大変ありがたく思っております。そこで今回は私自身が書いた記事について振り返ってみたいと思います。
まず、2020年12月までに何本の記事が掲載されたか自分でもわからなかったので、これを機に調べてみました。
ありました、ありました!沢山書いていました。自分の感覚では50本くらいかと思っていましたが、調べてみると2009年8月(461号)のらーめん屋の記事から、この12月(597号)のエジプト紀行(後編)まで、なんと84本でした。イヤー書いたものですねえ!我ながら驚きです。この3年間で5回、出版社から本を出さないかとお誘いいただいておりますが、この会報の記事のことが知られているのかもしれません。
記事の中で最も多いのが「ねこ、ネコ、にゃんこ、そしてまたまた猫」シリーズで、17本でした。2011年10月の「その活用法と有用性について」から2020年10月の「ニャンはきれい好きニャのだ」までです。この猫シリーズのためか、私を「にゃんこ先生」と呼ぶ医師会の大先輩がおられます。その先生はこの猫シリーズが大のお気に入りで、4月の陽春薫風と10月の月灯虫音をとても楽しみにしており、この猫の記事がないとがっかりするそうです。その他にも「猫シリーズ、毎回楽しく読ませてもらっている」というお言葉をたくさんの方からいただきました。その中で私のお気に入りは「ニャCOMしてますか?」と「極秘○○製薬、○○薬局」です。今は4匹ですが、一時は6匹飼っており、毎日猫にいっぱい楽しませてもらっています。読んでいただけるネコ好きの方にほんの少しのお福分けをと思っています。このシリーズ中の1本が日医ニュースに転載されました。
さて次は、紀行ものです。山陰や徳島などの国内もの、シンガポール、スペイン、フランス、ハワイ、西安などの海外ものがあります。徳島では帰りの飛行機に乗ろうとしたら、財布がないことに気づきました。前編ではないことに気づいたところまで、後編でその後日談を書きました。前編を読まれた当時の新潟大学長からも「その後どうなった?」とご心配いただきました。財布は四国から新潟の私のもとに無事帰ってきました。
多くの記事の中で、どうしても語らなければならないのが2010年2月(467号)に掲載された「若き言霊」です。黒埼中学校卓球部が遠征の帰りに交通事故に遭い、男子4人のうち2人が亡くなるという大惨事がありました。事故後の詳細を綴ったものです。7ページに渡る、落涙必至の内容です。この記事は県医師会報にも転載されました。
その他の記事も、どれもこれも気合の入ったものばかりです。今後もさらに書き続けますのでお楽しみいただければ幸いです。
最後に、会報としての新陳代謝を経ながら、今後さらなる内容の充実と恒久的発刊をお祈り申し上げます。
(令和3年3月号)