永井 明彦
日本学術会議の任命拒否問題では、政府は現政権の政策に反対した会員を理由も明らかにせず任命しないという“反知性的”な振る舞いをしている、と多くの人が感じたと思う。確かに政治屋の多い我が国では、知性的な政治家には残念ながら滅多にお目にかかれない。ただ、反知性とか反知性主義という言葉の定義は多様だということも知っておく必要がある。
国際基督教大学教授の神学者、松本あんり氏によれば、反知性主義とは知性的なものを侮蔑する態度や科学的な根拠に基づかない政策や思想でなく、権威ある知性的なエリートが権力と結びつく「知性主義」、即ち知的な特権階級に対する反発だという。「反知性主義」という言葉の名付け親は米国の歴史家、R.Hofstadterだが、米国の反知性主義は「反・知性」主義ではなく、「反・知性主義」を意味する。リベラリズムの根底にある意思力崇拝や設計主義、理想を完璧に実現することを求める完全主義に対する疑念ともいえる。この考えの根っこにはどんなに偉く知性のある人に対しても、神の下に同じ人間として平等だという宗教的価値観がある。キリスト教が育んだ反知性主義だが、当然だと思われていた古い権威を問い直し、解体していく期待や可能性も包含する。
米国のトランプ前大統領の言動や政策は評価できないが、彼はそうした平等主義を背景に、既存の支配階級や既成勢力の権威構造に反発し、犬笛政治でサイレントマジョリティである白人のブルーカラーの支持を集めた。更にカルト的思考とディープステイトなどという根拠なき陰謀論に凝り固まった狂信的な極右団体や白人至上主義者等の岩盤支持勢力を扇動し、民主党リベラルのpolitical correctnessを敵視した。彼は単なるディーラーでなく、巧みにポピュリズムを利用し、雇用、移民、テロなど特定の問題の善悪を問うことで、国民の関心を惹きつけ、今回の選挙でも7400万人の投票を集めた。単純な善悪二元論に陥りやすいのがポピュリズムの特徴で、その原理主義的な性質は宗教と共通する部分があり、白人福音派の8割が投票した。彼らは実際にエリート層が築いた秩序を破壊する救世主としてのトランプを支持し、陰謀論を唱えるQアノンは日本でも本県を含む8都県でグループを作り、大統領選で不正が行われたと主張するデモを東京で行った。結局、狂気と幻想のポピュリストは議会侵入事件を誘発し、自業自得とはいえ、支持者の贔屓の引き倒しに遭ってTwitterアカウントも停止され、表舞台から消えた。だが、彼には議会で弾劾されない限り、“愛国者党”を設立して次期大統領選に出馬する可能性がない訳ではない。Jesus Trump!と叫ぶトランピアンも決して諦めずに彼を殉教者に祭り上げるのではないだろうか。
政治学者の丸山眞男は、「世俗権力」と「教会」という二つの権威が緊張と対立を持ちながら社会を形成していた近代の欧州と対比して、日本の近代市民社会には二元的・複数的な価値観がなかったことを指摘していた。芸術でも学問でも、結社集団が結局は国家や政治に何となく寄り添っていってしまう。日本では、権力と知性が結びつく「知性主義」がそもそも成立せず、本来の意味での反知性主義は拡がらず、言葉もネガティブな意味でばかり使われている。権力と知性の結びつきに反発する中で、ポピュリズムに囚われずに知性の働き方を問い直す、本来の意味での「反知性主義」のヒーローの出現を期待したいものだ。
(令和3年3月号)