勝井 豊
『新潟市医師会報』が発刊50周年になり、600号を迎えたことを、心からお慶び申し上げます。会報の編集に関わってきた多くの関係者の皆様の御努力に対して、心から敬意を表したいと思います。
今から50年前の昭和46年4月に創刊されていますが、その頃の私は医学部の学生でした。学園紛争も収まり旭町のキャンパスは落ち着きを取り戻しつつありました。当時の日本の経済は高度成長の余韻を感じさせ、銀行の利息は年間5%前後もあり、政治への関心も高かったように思います。医療技術の進歩はめざましく、新たな医療分野が次々と誕生する一方で、医療過誤や救急医療の立ち遅れが、マスコミにより報じられていました。
新潟市医師会史によりますと、昭和46年7月には保険医総辞退が決行されていますが、その頃の厳しい状況は医師会報に克明に報じられていたのでしょう。また昭和48年には老人医療無料化が実施されていますし、昭和49年には石油ショックが起きています。そうした時代の大きな流れを医師会報は会員の声も混じえながら伝えていたのでしょうが、その詳細は医師会員でなかった私には知る由もないのは誠に残念なことです。
私事で恐縮ですが、私が開業した平成2年頃は、医療はサービス業であると言われていたように記憶しています。バブル経済の破綻により経済活動は低迷し、消費税の導入などの大改革が行われるなど新たな秩序ができつつありました。その後「新自由主義」の旗のもとで規制緩和の名目で、混合診療の解禁や医療分野への外国資本の参入などが企てられるなど、国民皆保険制度を揺るがす動きがあり、医師会は国民の命と健康を守るために行動していました。その頃は医師会報には関心が低かったために、せっかく届いた会報を処分していましたが、もし残っていたら折に触れて当時の状況を、会報を通じて回想できたに違いありません。
新潟市医師会報はB5版の小冊子ですが、役員や行政担当の皆様からの投稿や、勤務医の先生方による学術論文、医師会からのお知らせなど会員にとって有用な情報が掲載されています。超高齢社会に向かって地域医療は激変しつつありますし、医学や医療の進歩も著しいものがありますので、世の中の動きから取り残されないためにも、医師会報に目を通すことは大切だと思っています。ただし、私自身は硬い話は苦手で、「陽春薫風」や「月灯虫音」などの会員寄稿を楽しく読ませてもらっています。
皆様のお手元に医師会報が届きましたら、早速表紙絵をご覧になってからページをめくっていただき、読むコーナーと読まないコーナーを「トリアージ」していただきたいと思います。歳月の流れは早いもので今から百年経てば私たちのことを覚えてくれている人はほとんどいないかも知れませんが、医師会報は後世まで残りますので、医師会員としての足跡を残すために、ときどき医師会報に投稿してみてはいかがでしょうか。
(令和3年3月号)