蒲原 宏
昨年4月頃から両下肢の浮腫と腰痛があり、7月に桑名病院の佐藤舜也先生に精査してもらった。「第5腰椎前辷り症椎間狭窄症による坐骨神経麻痺が始まっており、亀田第一病院新潟脊椎外科センターの長谷川和宏先生の手術を受ける様に」と紹介された。丁度その頃、私が主宰している同人誌で会計担当の2人の女性による運営金の涜職事件が発覚し、その処理に追われ、直ぐに入院できなかった。
その処理が終ったのが11月。両下肢は麻痺、腫脹し、歩けなくなり、転倒し、知覚も失せた。俳句仲間の中平啓子先生が見かねて手を貸して下さって入院したのが12月16日。諸検査の結果、97歳3ヵ月超老齢であり、前記症状の他に糖尿病、腎不全、第3腰椎圧迫骨折、顔面挫傷との診断。全麻での手術は危険ということで、脊髄麻酔で12月21日に緊急手術を受けた。麻酔は下畑啓子先生。よく効いて脊髄麻酔なのに、手術中眠ってしまった。手術は1時間足らず、すんなり終った。眠っていて全くわからず。目が覚めたら中平先生が術中、私の枕頭で話しかけて下さったそうだ。何か答えたらしいが記憶はなかった。術後は順調で5日目からリハビリ開始。12月25日のクリスマスの日から下肢が動き始めた。担当の理学療法士は長谷川先生の配慮で、大矢渉理学療法科長が担当となった。理学療法士として二十数年のベテランの好人物。午前、午後1時間30分位づつびっしり。土曜日も出勤して指導してくれる熱心さ。仕付けの良い家庭で育った人の様で、看護師よりも言葉、目くばりが丁寧であった。
それに知識欲が旺盛で老医師の話をよく聴いてくれた。ひと昔前の新潟県の整形外科や理学療法の話など、実に聴き上手で色々の質問を投げかけてくれた。治療の間にはお茶を出してくれる。私の記憶のあやふやな時には、すぐにコンピューターで検索してくれた。病室から見える越後連山の拡大写真を撮って一山づつ山名を入れて説明してくれる。登山の趣味もあるし、未知のことにすごく興味をもって、台湾、中国整形外科の参考文献まで検索してくれた。
昔の新潟の町や風俗の話、故事など話すと目を丸くして聴いてくれた。私にとって、リハビリの時間が病院生活で最も楽しい一時となった。整形外科医でありながら、手術時期を逃した悔でいささかウツ状態であった私は、腰の手術による効果と共にリハビリで出合った好人物との出合いによって思ったより心持よい入院生活を送ることができたのは幸いであった。
そして、理療・看護・介護という「自力」より「他力」の大きさ、有難さを痛感し、助けられた命をもう少し大切にして娑婆を楽しみたいと思いつつ3月5日に退院した。“整形外科医とあろう者が”の悔をかみしめているリハビリ中の昨今ではある。
─リハビリ雑詠十句─
リハビリの一歩に二歩に日脚伸ぶ
リハビリの窓に雪嶺皚々と
リハビリの窓の風花美しき
リハビリの漸く百歩日脚伸ぶ
リハビリのえっちらおっちら春隣
リハビリの漸く千歩日脚伸ぶ
リハビリの昨日二千歩日脚伸ぶ
リハビリの今日三千歩日脚伸ぶ
リハビリの明日四千歩日脚伸ぶ
リハビリの二ヶ月つづき二月尽