関根 理
コロナが作ってくれた気楽な空き時間のおかげで、故朝比奈隆のベートーヴェンを20年ぶりに聴き直すことができた。朝比奈は昭和から平成にかけて、国内はもとより世界にその名を知られ、数々の名演を聴かせてくれた人である。同年代にドイツのギュンター・ヴァントがいて、やはりベートーヴェンやブルックナーに名演を遺してくれた。この2人の老大家が晩年になって評価されるようになったのは、その実力は当然として、カラヤン以後の当代の指揮者達が、近現代物を含め、やたら金属的な騒がしい音楽を演奏したがることへの反動だったかもしれない。ヴァントが地元ハンブルグのみならず、各地の有名オーケストラと共演したのに対し、朝比奈は一貫して手兵の大阪フィルハーモニーのみと演奏し、海外公演でも自身と共にオケの評価も高めたのだった。
世紀の替る西暦2000年、朝比奈は大阪フィルとベートーヴェンの交響曲全曲演奏を地元大阪と東京で行った。全曲演奏はそれ以前に8回行っており、CD化もされていたが、92才の大指揮者が20世紀最後の年に全曲演奏を行うというのは、やはり記念碑的な意図があったものと思われる。“世紀のベートーヴェン”と銘うったこの演奏会シリーズは翌2001年にNHKBSで放映され、幸にもその殆どをVHSテープに録ることができた。最初に放映された第5番「運命」を視聴して“正しく本当の正統的なベートーヴェン”と心を打たれたのを覚えている。その後のどの曲にも夫々感銘を受けたのだ。提示部の反復を忠実に行い、確固たる構成のケレン味のないベートーヴェンだった。先に紹介したことのあるクリュイタンスとは違った意味での正統的な指揮ぶりといえようか。
朝比奈氏は1908年東京生まれだが、生涯の殆どを関西で過ごした。京大法学部卒ながら昭和初期のドサクサの中、電車の運転手をやったり、満州へ渡ったりした。戦後、引き揚げてきて大阪で関西交響楽団(今の大阪フィル)を設立する。アマ同然の音しかだせなかったこの楽団を懸命に育て上げ、次第に市民の評価も高まり、外国へ演奏旅行に出るようになる。録画したテープでリハーサル風景を見ることができる。楽員達を我が子のように慈しみながら、厳しく、優しく指導する様がよくわかる。「英雄」のリハーサルのとき、“私が死んだときはこの葬送行進曲は勿体ない、7番の2楽章でいいよ”という件りがある。数年後、氏が亡くなったとき大阪フィルは第7番の第2楽章を演奏して巨匠の遺志に応えたといわれている。
(令和3年4月号)