山﨑 芳彦
新潟市で育った方なら誰でもご存じかと思うが、白山神社の鳥居の真ん前に、レストラン キリンという洋食屋がある。新潟日報によれば、間もなく閉店するとあったので、この拙文が出る頃はもう無いかもしれない。創業昭和3年といわれ、新潟市で最も歴史ある洋風レストランの一つで、カレーライス、オムライスが人気であった、というか、昔は、一般人にはこれくらいしか手が届かなかったためかもしれない。オムライスは巨大で、食べきるのが容易でないボリュームであった。テーブル席とカウンター席が各々数席の小さなレストランである。
一方、小生がまだ中学1年の時の主任の先生はまだ若く、彫りの深い西洋人的な顔つきで、常にサングラスをかけ、ややとりつきにくいイメージの先生であった。ある日、突然「飯でも食いに行こうや」と誘われた。そんなことをしていただけるようなイメージではなかったし、他には誘われた人はいなかったのでうれしいというより驚きの方が先であった。そこで連れて行ってくれた所が、先のレストランキリンであった。当時の関屋中学から、レストランまで、歩いて行ったと思うが、緊張のあまり、途中何を話したか覚えていない。当時、サラリーマンの息子が、レストランで食事をすることなどは考えられず、何を注文してよいのかとまどった。結局、店のイメージとはまったくちぐはぐな感じであったカツ丼を注文した。本格的なカツ丼は初めてで、美味しかったという記憶はあるが、食事中の会話や食事後どうしたかなど全く覚えていない。
こうして、レストランキリンのイメージを残したまま40数年たった。ある日、外来にいて、たまたま同僚の外来診察を見ていると、例の中学の時の担任の先生と同じ名前があった。はじめは信じられなかったが、顔立ちなどから紛れもなく、かつて教えていただいた先生であった。自分の受け持ちではなく、同姓同名かとの思いもあったが、カルテを見せていただくと、大動脈瘤で循環器内科から手術の適応を問い合わせるものであった。検討の結果、手術適応ではないと結論された。しばらくぶりに、「昔教えていただいた山﨑です」と名乗ると、はじめはびっくりされたが、先生は小生のことをよく覚えておられ、場所を別にとって、短時間であったが、昔のことに話が弾んだ。レストランのこともお礼を言ったが、覚えておられるのかいないのか確信がとれないような返事であった。現在、症状も特になくお元気そうであり、退院された後ゆっくりと話がしたいと思ったがその後実現していない。あれからしばらく経っているがご健在であろうと確信している。ずっと、記憶を留めておいた先生とこんな時に、こんな場所で再会するとは夢にも思わなかったが、もうすこしゆっくりと話ができればと思った。ちなみに、このレストランは、自分で支払いができるようになってから2、3回訪れたきりである。
人の出会いは、偶然で思わぬ要素がつきまとうものだが、40年以上たった再会に人生の不思議を感じた。
(令和3年7月号)