八木澤 久美子
以前、同一線上のアリア(G線上のアリアにかけて)の話を白柏麻子先生にお話しした事がありました。朝起きて、洗濯、弁当作り、子供の世話をして、エプロン脱ぎ捨てて、ダッシュで病院へ行く。白衣に着替えて医者業を行い、業務を終えるとダッシュで帰って、夕飯作り、家の中の片付けなど、どちらも私としては仕事の重さ、かける熱量は同じ。どちらも緊張感を持って戦うかの如く取り組んでいます。この二つの仕事は私の中では同一線上にあると感じていることから同一線上のアリアと勝手に名付けています。
かなりな専門職であるにもかかわらず主婦業は評価が低いと感じることがあります。ある日私が茶碗を洗っていると夫が「○○してこいよ。どうせ暇だろ。」と言ってきました。頼みたい事があったのでしょう。でもね。見てわからないのかな、私は今茶碗洗いをしているのだよ。いや、ちょっと待てよ。茶碗洗いは彼にとってみれば、暇人がすることなのかもしれない。そうか、そういうことか、認識が違うのか。主婦業は暇な人が暇なとき行うものだという認識なのでしょうね。
てなわけで、今までぐっと堪えて言わなかったのですが、声を上げることにしました。医者業は大変な仕事だ。でも主婦業だって大変な仕事だ。もっと評価されてもいいはずだ。本業の医者業が手抜き仕事になっては大変、なので歯を食いしばって睡眠時間を減らし、隙間時間もすべて活用し、自分の時間もすべてゼロにして、頑張ってやってきたのだ。私に休日はない。もう少し評価されてもよいだろう。
さて最後に主婦業の目的をお教えしましょう。それは「家族にカンフォタブルな環境を提供すること」です。ね、これを聞くと有難みさえ出てきたでしょう。この考えが根底にあるからこそ今までやってこれたのです。だから今日も明日も明後日も、ずっとずっと私は必死に主婦業もやっていきます。
(令和3年10月号)