松浦 恵子
私の最も古い記憶が、ゆで卵事件。自身で記憶している部分と、後に大人たちから聞いて補った部分とからなるものだ。
私が3、4歳くらいで、曾祖母のミヨさんは70歳代後半。ミヨさんは同年代の二人の友人と月岡温泉へ一泊旅行に行くにあたり、私を一緒に連れて行くことにした。聞き分けがよくおとなしい子どもだった私は、三人のお婆さんにとってマスコット的存在。
月岡までは汽車に乗り、四人掛けボックス席で私は三人のお婆さんに囲まれて、窓際に座っていた。汽車が動き出してしばらくすると、ミヨさんが手荷物からゆで卵を出して私にくれた。私は喜んで食べた。それを見たほかの二人も、自分の持ってきたゆで卵を「これもお食べ」と殻を剥いてくれた。当時、汽車旅行には誰もがゆで卵を持って出かけたものだ。私が本当に喜んで食べたのは2つまでで、3つ目は断っては悪いと思って食べた、と思う。気遣いのある子だった(たぶん)。そして事件は起きた。
月岡駅に着く前に、私は卵の食べ過ぎでお腹が痛くなった。お婆さんたちの楽しい旅は一転、三人は真っ青になったことだろう。今考えると本当に申し訳ないことをした。
この先の記述には推測も混じる。月岡駅に着き、一同は迎えに来た旅館の車で宿泊予定の温泉まで行った。ミヨさんは旅館から家に電話し、母が私を迎えに月岡温泉までやって来た。母は家でのんびりしていたところに、突然の呼び出しだ。これまた申し訳ないことをした。
その後、腹痛がいつまで続いたのか記憶にないが、さほど苦しんだ覚えもない。三人のお婆さんは「恵子にゆで卵を3つも食べさせたのは失敗だったわね~」なんて言いながら、でも気を取り直して温泉を楽しんで一泊して、月岡饅頭をお土産に帰ってきた(はず)。
私はこれに懲りてゆで卵は見るのも嫌に…なったりはしなかった。でも、ゆで卵を食べる時にはこの月岡温泉ゆで卵事件が脳裏をよぎり、決して一度に2個以上食べることはしない。
(令和3年10月号)