浅井 忍
SDGs(持続可能な開発目標)は、2015年9月に、国連で193か国の首脳の合意のもとで採択された「2030アジェンダ」の主要部分を占める。SDGsの目指すところは、世界から貧困をなくすことと持続可能な社会・経済・環境へと変革することが主な柱である。SDGsは、17のゴール、169のターゲット、232の指標からなる。その内容をみると、「誰一人取り残さない」という全員参加型の理想主義が貫かれていて、総花的である。
なぜこのような総花的な内容で合意に至ることができたのか。SDGsには何ら法的な拘束力はない。それゆえゴールとターゲットのうち、自国に都合の悪いものは無視して、いいとこ取りができる。すべての国連加盟国が合意に達したことは、多国間外交史上稀有なことだという。
2019年に、SDGsの進捗状況を評価する「SDGサミット」が開かれた。その結果、国内・国家間で富の不平等が拡大しており、飢餓人口が増え、ジェンダー平等の実現もままならない。貧困をなくすには、IMFの試算によれば2.5兆ドルもの膨大な資金が必要であるという。これを受けて国連はSDGsの達成に黄信号を投げかけ、2030年までの「行動の10年」を提起した。昨年から今年にかけて、マスコミにSDGsという言葉が頻繁に現れるようになり、TVにSDGsをテーマにしたクイズ番組やバラエティ番組が登場したのは、そうした経緯による。
現在、人類は地球の資源再生能力の1.69倍を使っているという。資源再生能力とは化石燃料や金属あるいは森林などのことである。持続可能な開発を続けるためには、資源の消費を1以下にしなければならない。満身創痍の地球をなんとか回復基調にもっていき、その状態を次の世代さらにその次の世代へと引き継ぐことが、SDGsのキーワード「持続可能な」の意味するところである。SDGsに対しては反対意見も多いが、是非はともかく、SDGsは帝国的生活にどっぷり浸っている私たちが産み出さなければならなかった処方箋であると認識すべきだ。
(令和3年10月号)