関根 理
秋、庭の草木の間から聞こえる虫の声が賑やかだ。道を歩いていても、一寸した草むらから虫の声がして、これだけは以前と変わらない。だが身近だった昆虫類のとんぼ、蝶、蜂、かまきりなどの姿は、住宅地でも街中でも殆どみかけなくなった。昆虫だけでなく、鳥達も以前のように群をなすことがなくなったようだ。
以前、“とんぼがいなくなった”という一文を載せてもらったことがあるが、最近はその頃よりも更に生き物達がみられなくなっている。毎日仕事で訪れる江南区でも同様である。私達の周辺から姿を消してしまったのだ。
西区の住宅地に居を構えて40年余り、当初は庭で蝉が鳴き、とんぼや蝶はわがもの顔で飛び交い、地面の下から蛙やもぐらが顔をだした。かたつむり、なめくじなども沢山いた。浜の松林からは郭公や雉の声が聞こえてきた。雉などはわが家の庭にとびこんできたものである。今はこれらの生き物は全て見ず聞かずである。野良猫は“餌をやらないで下さい”のお達し以後、姿を消してしまった。雀、鳩、からすの類も群をなすことはなくなったようだ。いま、庭の餌台に来るのは季節によってめじろ、うぐいすで、年中というとしじゅうから、ひよどりくらいのもの。ひよどりは人懐こいのか、人嫌いなのか、餌台の枝にとまって首を傾げたり、おしゃべりをしたりで愛嬌がある。それでいて人間様が顔をのぞかせるとキイキイと悲鳴をあげて逃げていく。ひよどりのおしゃべりで傑作だったのは、ある朝早くに松の枝で音をだし始めたとき。“チンチロリン”と幾度となくくり返すので、眠っているうちに噴きだしてしまい、早々と目を覚まさせられてしまったことである。
ひよどりの夫婦は今までに3回ひなを孵して育てた。わが家の庭で育ったひな達が夫々後を継いで、今わが庭を訪れてきているのかもしれない。
青山の松林を切り拓いて宅地化が始まって60年以上になるだろうか。初めの頃住みついた人達は庭を造り、樹木や池で生活を楽しんだのであろう。私が住み始めてからそれらの先人達は高齢化し、姿を消していった。跡に家を建てて住む若い人達がまず確保するのは駐車スペース。庭や樹木などには余裕も興味もないのだろう。そして段々人間の仲間の生き物達が遊べる空間がなくなり、我々の視界に存在できなくなってきているのだろう。街がきれいになっていくのは喜ばしいが、自然が失われていくのは生活の潤いという点で残念なことである。