蒲原 宏
日本語の辞書を読む癖がついたのは海軍軍医時代の76年前、戦闘航空隊付で鹿児島県串良基地勤務時代。虫垂炎患者の手術で鹿屋基地に出張し、久しぶりに町中を歩いたら小さな書店があった。書棚にはほとんど本がなかったが新村出編『言苑』が1冊鎮座していたので買って帰った。辞書なので司令官の許可はいらなかった。軍隊では私物の書物は検閲許可が必要な時代。俳句歳時記でも検閲許可が必要だった。活字に飢えていたので暇があると『言苑』の頁を追って読み、文字の飢えを癒していた。戦後、大学の研究室でも欧文・和文の文献を読むのに飽きると『広辞林』と『広辞苑』の各頁追って両者の解説の違いを比較してみるのが閑つぶしであり、楽しみでもあった。
この癖が病膏肓に入って辞書の改訂ごとに買い集めることになってしまった。岩波の『広辞苑』は7版、『広辞林』は『大辞林』と三省堂が改稱し5版、書架に同名の辞書がずらりと並ぶ。改版ごとに誤りが訂正されているかを点検するのも楽しみの一つ。例えば『広辞苑』で「匂ひ」を「匂」、画家「絵金」の項で「姓は弘瀬」とあるべきが「姓は廣瀬」、「スウェーデン体操」の項で創始者の名「スウェーデン人リング(P.H.Ling 1776~1839)」とあるべきが、「P.H.Ring 1776~1839」と昭和30年(1955)の初版での誤植が令和元年(2019)、64年後の7版でも訂正されていない。リングの場合は第2次大戦直後に出たEncyclopedia Britanicaの誤植記事をそのまま抄訳していることを確かめ得た。
その他にもあるが「広辞苑によれば云々」の引用もあやしくなる。次回改訂にあたって総点検する必要がある。
出版界の頂点に立つ岩波書店の代表的出版物の辞書においてもこの様な手抜かりが長年にわたって反省なく行われているが、最近の出版辞書類は引用するにあたって慎重にならざるを得ない。
特に人名辞典の記載についてそのことが言える様に思うのでその1例をあげて参考に供したい。
平成24年(2012)医学書院発行の『日本近現代医学人名事典』は泉孝英京都大学名誉教授の労作であり、大変便利で利用価値のある参考書であるが、筆者が身近に師事した故天兒民和九州大学名誉教授の記事について誤った記載があるので訂正をしておきたい。
天兒民和 あまこたみかず 明治38年(1905)~平成7年(1995)89歳 整形外科 昭和5年九州帝大卒 整形外科入局(神中正一教授)、7年4月助手、8年10月講師、独逸留学(在外研究員)、10年7月~11年10月「ベルリン大学ゴホト教授に師事」は誤り。「ライプチッヒ大学シエーデ教授に師事」が正解。…天兒民恵(内科)の「長男」は誤り。「三男」が正しい。この名著にはまだ川崎病の発見者川崎富作(1925~2020)などの著名人など未載なので改訂版には上述の様な誤りは是非再調査の上訂正をし、より利用価値の高い医家人名辞書として後人に資してほしい。辞書を読む筆者の様な類の人間を楽しませてほしい。辞書を引くだけでなく読んでゆくと、年をとればとるほど、これほど飽きない手頃な読み物はないように思う。楽しみながら読む辞書は老医の脳の砥石のようにも思える。
人間のやることだから辞書も「誤りの無い辞書は無い」と心得て辞書を使用すべきだと思っている。また、辞書は引きながら読み疑い比較すべきであるし、国語辞書でも2種類以上座右におく必要があると信じて21歳から98歳の現在まで、戦後76年間趣味の一つとして楽しんできた次第。
(令和3年10月号)