寺久保 洋次
はじめに
今回、令和3年11月26日に心肺停止から無事に生還・回復することができました。大変お世話になった病院の先生・スタッフの方々、迅速・的確な救急対応をして下さったジムの会員とスタッフ・救急隊の方々、医院の手助けをしていただいた耳鼻咽喉科学教室関係者の皆様、ご心配をおかけして、たくさんの温かいお言葉をいただいた知人・親戚の方々、そして一番心配をかけ、たくさん助けてくれた家族に深謝いたします。病状報告を兼ねて、同じような症状を持つ方の参考になればと、長々と駄文を書かせていただきました。私見で不正確な部分や失礼な点がありましたらお詫び申し上げます。
第1章 病識がない、なんでこんなに大事(おおごと)に?
暗いところからだんだんと光がちらちらしてきたなー。あれっ、ひどい貧血を起こしてしまったみたいでまずかったな。ジムで運動(ズンバ:ダンスフィットネス)中だったはずなのに、周りでひとが騒いでいるし、ずいぶん慌てているようだ。まだ少しくらくらする。起き上がろうとしたら「いやいやまだ横になっていて下さい。もうすぐ救急車が来ますから」と言われて、仕方なくうつぶせにだけなって休んでいました。救急隊の人がやってきて、店長さんが説明しているのを聞いていたら、「倒れて痙攣していたので脈を診たら止まっていたし呼吸も止まっていました。心臓マッサージをして、AEDを装着、1回電気ショックをしました。そのあとまた心臓マッサージをしていたら意識が戻りました」と言うではないか。そうか、自分はVFから心肺停止、AEDで蘇生したのか、と分かりました。少しだるいし吐き気はするけど自分で歩けそうなのに、と思っているうちに搬送先が決まり、ストレッチャーに固定されて救急車に載せられ新潟大学医歯学総合病院へと運ばれました。
後で聞いたところでは、一緒に運動していた歯科医の先生が、私が倒れた後すぐに心肺停止を確認して心臓マッサージをしてくれ、スタジオから出てすぐ近くの所に設置されていたAEDを店長さんが持ってきて除細動してくれたとのことでした。
幸い処置が早く適切だったので麻痺や記憶障害もなく、すぐに会話のできる状態でした。
臨死体験では走馬灯が見えたり、三途の川を渡ろうとしていたのを呼び戻されたりする、と聞いていましたが、今回は真っ暗な何もないところから声が聞こえてきて、そのあと光のある世界に呼び戻された、という感覚でした。
第2章 検査の画像を見て納得
ICUに入り、ベッドに固定、ドアの外に家族の声は聞こえるが、面会はできず不安なまま頭部単純CTなど諸検査を受け異常なし、循環器の主治医が決まり4週間の入院で検査と治療の予定です、と言われてもすぐには気持ちが受け入れられない状態でした。ICUで眠れない一晩を過ごした後、ICUにもう一泊しますか、一般病棟に移りますか、と聞かれて即座に一般病棟を希望、循環器病棟へ移動しました。私物は下着だけだった状態から、スマホなどを届けてもらいました。会話できるエリアへの移動ができず会話はできませんが、メールができるようになりました。家族・親戚・職員・知人にさっそく連絡することができて少しほっとしました。
安静を続けた後、第5病日に心臓造影CT施行、冠動脈左前下行枝に90%の狭窄あり、その他にも軽度の狭窄や末梢血管の閉塞の所見があり、画像を見てようやく自分が大変な状態だったと納得しました。
第7病日に心臓カテーテル検査で心臓造影CTと同様の所見がはっきりと確認されました。検査は苦しくないが、検査後の左橈骨動脈刺入部の圧迫が痛く手が痺れて一晩中眠れませんでした。初めての尿道カテーテルも入れる時・抜いた後とも痛くて血尿が続き大変でした。
第8病日に心臓造影MRI検査で、左心室の動きが悪い、心内膜側の陳旧性心筋梗塞がある、という説明を受けました。
40代くらいからLDLコレステロール値が高く、家族歴もあるためスタチン系薬剤は服用していましたが、なかなか下がらず、ふくらはぎの筋肉痛が出るため増量せず、正常値を少し超えた所までしか下がらない状態でした。入院後はヒト抗PCSK9モノクローナル抗体製剤の注射とスタチン系薬剤の増量でLDLコレステロール値を積極的に下げました。今まで運動の途中や運動後に胸が重苦しい感じがすることは時々ありましたし、激しい運動後に2段脈が出ることはありましたが、少し休んでいると回復していました。
倒れる前日に久々に映画を見ました。天海祐希主演の『老後の資金がありません!』で、義母役の草笛光子が狭心症発作を起こすシーンがあるのですが、とても苦しそうに胸を押さえていました。自分はそんなに苦しいほどになったことはなかったし、コロナ前の2年前までは毎年フルマラソン、ハーフマラソンを走っていたのに大丈夫だったのが不思議でした。
今回のようなVFの発作が外を1人で走っているときやゴルフ中だったら、と思ったらぞっとしました。毎年人間ドックで心電図検査は受けていましたが、左室高電位以外の異常所見はありませんでした。発作が起こるまで病変が気づかれないとしたら、ベストに近いところで倒れたと言えると思います。AEDを設置してくれていたのはもちろん、早く適切な処置をして下さった皆様に感謝に堪えません。
代診についてです。原因を詳しく調べるのと手術で4週間くらいの入院になる予定と主治医に言われたときはずっと仕事ができない、患者さんをどうしよう、とプチパニックでした。主治医から、循環器内科の猪又教授から耳鼻咽喉科の堀井教授に代診の打診をしてもらいましょうか、と温かいお言葉をいただきました。そこで私からも耳鼻咽喉科学教室の統括医長と先輩の先生にご連絡して代診を出してしていただけるということになり、安心して療養していられました。堀井教授、猪又教授はじめ諸先生方には本当にお世話になりました。
第3章 2回の手術と心エコー
第12病日 冠動脈ステント留置術(局麻手術)で、モニターで狭窄部のバルーンでの拡大、ステント留置の様子を見ていました。術中の所見では狭窄は99%とのことでした!右鼠径部の刺入部の圧迫は橈骨動脈より楽でしたが、一晩寝がえりが打てないので腰痛がひどくて困りました。2回目の尿道カテーテルは入れる時・抜いた後とも痛みはなく、血尿もなしでした。以前尿管結石の発作後に自然排出があり、瘢痕狭窄があったのかもしれません。
第15病日 心エコーにて左心室の動きが悪い、左室駆出率が下がっていると説明を受けました(正常50%以上のところ、37%しかないとのことでした)。
第22病日 皮下埋め込み型の除細動器(S-ICD)留置手術を受けました。局麻手術でしたが、手術開始前に使用した鎮静剤がとてもよく効いて、目が覚めた時は病室でした。左腋窩部の下に結構大きな本体、そこから皮下を水平に伸ばしたリード線が胸骨に沿って上にまで入りました。わき腹が痛いのとバストバンドで締付けられるのがきつくて2晩苦しみました。痛みは徐々に回復し、3日後にはエアロバイクなどリハビリも再開しました。3回目の尿道カテーテルも苦痛なしでした。
第4章 入院中・退院後の生活
最初は体一つで入院し、ICUから病棟へ移動してスマホが届くまでは世の中から隔絶された状態で、軟禁された感じでした。病室のトイレ移動以外は臥床で、メールはできるが会話できない状態で精神的に苦しかったです。新型コロナ対策で家族との面会は禁止でした。状況がよく把握できずに一番心細いときに顔を見せに来てくれたN先生、Y先生ありがとうございました。病棟内移動が許可されてようやく電話ができるようになり、入院後初めて家内と話をした時には、こみ上げるものを抑えることができませんでした。その後家内とは術者から手術の説明を受ける時だけ同席できました。久々に会えて感激でした。入院中手紙・雑誌・新聞も届けてもらいましたが、息子から借りた漫画が何百冊と入ったタブレットはかさばらず助かりました。テレビも備え付けのものは移動できないしテレビカードの消費も多いので、画面が小さくて見えにくいですがスマホのワンセグテレビを見ていました。ノートパソコンも届けてもらい、初めてスマホのテザリング機能で通信し講演会・会議に参加、オンデマンド講習会も視聴できました。退院後最初の外来受診後に仕事は再開しました。術創の違和感はありますが、問題なく診療できています。
S-ICDの手術後6ヶ月は発作がないことを確認して申請するまで自動車運転が禁止になります。身体障害者1級となり、電波・磁気・衝撃を避ける必要があります。運動は可能で、傷が落ち着けばゴルフやランニングも再開できます(ただし、大胸筋に力を入れると誤作動の可能性があり、腕立て伏せは禁止されました)。いろいろと制限はありますが、S-ICDのおかげで同じ発作がもし起きた時の急死が回避できると思うとホッとしています。せっかく一度死んだところから生き返らせてもらった身ですので、体に気を付けながらまだしばらく世の中の役にたつように仕事をして、趣味も楽しませていただきたいと考えています。
おわりに
冠動脈狭窄についてネットでいろいろ調べていたところ、タレントの関根勤さんの話が出てきました。関根さんは何の自覚症状もなかったのですが、テレビ番組の企画で心臓ドックを受けたところ、スタッフからすぐに連絡があり冠動脈に75%の狭窄が見つかったとのことです。早速ステント留置術を受けたとのことです。強い症状がなくても胸の違和感があるとかLDLコレステロールが高い方は私のように発作を起こす前に心臓ドックを受けてみてはいかがでしょうか。
(令和4年3月号)