阿部 志郎
4月16日 10時前、別府市から熊本市へ向かう九州横断観光バスは小高い山並みを縫い峠に至った。眼下の盆地に朝霧がわずかに残る幻想的な光景を車窓から眺めていた。
若いバスガイドさんは「湯布院の湯煙と朝霧が綺麗ですね」と言った。
その印象が湯布院温泉を美化し“いつか訪れたい隠れ里”の憧れに変わった。
その温泉街をバスで駆け抜け、九重山系を左に眺めつつ阿蘇外輪山へと向った。
フロントガラスを背に、移りゆく景色を話題に沢山の記憶を詰め込んだガイドさんは流暢に言葉を紡いでゆく。その記憶力に羨望の念を禁じ得なかった。
阿蘇の外輪山を越え、火口原に進むと緑の絨毯が敷きつめられていた。
紺碧の青空と目に眩しい緑の草原に二分された景観は、単純だが心を和ませてくれる。
牧草地ともなっている“艸千里”の地名が、この風景を如実に現わしている。
昼半、阿蘇中岳の噴火口に到着。今までの景色と真逆で殺伐とした岩肌の景観を呈する。
火口の噴煙は迂遠の深さを隠し、遥か火口の縁を歩く豆粒大の人影は自然の雄大さを描写。
当時のメモ:巨大な阿蘇に思う…(大陸漂移説を提唱した悲運のウェゲナーを想起)
余りにも巨大な者を人は不可思議と呼び、理解できぬがゆえに狂人とする。
もっとも、それが一番てっとり早い方法ではあるが…
巨大な者を理解するには、それ相応の巨大さを有せねばならない。
その時はもう、その人にとって相手を巨人とは思えなくなるだろう。
その夜、熊本市内に宿泊。各部屋に夕食が予定通りに運ばれない事態が発生した。
責任者が部屋まで出向き「今、テレビで大人気のプロレス番組が始まり、女性従業員の大半がロビーで応援・観戦中です。配膳が遅れて申し訳ありません」とわざわざ謝罪にきた。
熊本県女性の闘争心とその気骨に驚き感服した。
4月17日 昼前に天草五橋、水前寺公園を巡り、熊本駅から鉄道で宮崎駅へ向かう。
途中、右手の堤防から沖へ百メートル程の干潟が広がり、有明海は遥か遠方に見える。
太平洋側の1メートル以上の干満差に驚き、地球と月の綱引きで生じる巨大な力を目撃。
八代駅から肥薩線に入り、エメラルドグリーンの川面、黒く点在する巌の渓流・球磨川をトンネルと鉄橋で上流へ、霧島高原の北端・えびの、小林、都城を抜け、宮崎駅に到着。
宿で長旅の疲れを癒すため、夕食後日本酒一本を注文したら仲居さんが酒を注いでくれた。
「一人旅ですか?大学生さんですか?今度はお友達と御一緒にいらして下さい」全てが見透かされているようだった。宮崎県民謡“ひえつき節”を披露してくれた。
この民謡は物悲しい旋律に乗せた平家落人部落・椎葉村の“逢引”の歌詞だと後で知る。
4月18日 春雨に煙る朝を迎えた。宮崎空港から伊丹まで初の飛行機搭乗を体験する。
大淀川河口から小雨を突いてプロペラ機は雨雲めがけ飛び立った。暗い雲間を抜けたら、アッと驚く光景が眼前に広がった。それは“雲一つない真っ青な青空に、常に輝く太陽がいる”光景だった。“雲に覆われた世界から努力という飛行機で突き抜ければ、雲一つない明るい世界が常に我々の頭上にある”と自然現象が教えてくれた気がした。
(令和4年4月号)