石塚 敏朗
平成6年の晩春。次の日曜日は、居合道7段昇段審査会だ。これまで2回落第している。師の道場を訪ね指導を仰いだ。
午後7時、白い稽古着に着替え、神前に礼をして道場の中央に座し稽古にかかった。
だが、師は道場の隅々を周りながら、箒でゴミを掃き始める。しかも同じ所を何度も繰り返し穂先で撫でているだけで、指導どころか、こちらの稽古に一度も振り向かない。ただ穂先の床をする音がスカスカ耳に届くだけ。どうしたことだろう。
やがて、師は黒の紋服袴に身を正し、真向かいに正座して稽古の位置についた。
まず、「私を斬りなさい」
といっても、こんな間近な距離で真っ向から斬りつけるのはやったことがない。怖ろしい。互いの間合いは切っ先の届く範囲ではないとしても、危険過ぎないか。刀身が柄から飛び出して、観客に怪我を負わせたという過去の事件も聞いている。
目釘に緩みのないことを、もう一度柄に指先を触れて、確かめた。気配りは万全であっても予測外のことは読み切れない。迷いがないとは言えきれない。
「もっと気を入れて斬れ!」
こうなれば、全身全力で体当たりするしかない。師は弟子を信じ、弟子は師の決意に委ね突撃するのみだ。眉間を突き通すほどに睨み付けて斬り込んでいった。師の表情はピクリともしない、まるで木彫の菩薩のように。
「背中の裏まで斬れ!」
これはもう並の稽古ではない。命がけの稽古である。繰り返すうちに、なぜか温かいものを感じてきた。弟子への恩愛だと思った。この危険な合間に、なぜか奥様の穏やかな顔が浮かんできた。
剣聖・中山博道は、稽古の心がけについてこう言ったという。「美しさ、気迫、魅力のある演武」をと。若い頃の師は、中山博道・有信館の門人だった。師は床を掃く穂先の音の中に、弟子の気迫の軽重を計っていたのだ。
昇段審査は合格だった。師が顔をゆるめて寄ってきて、そして一言。
「もう、斬るな……」
大きな紺色の紫陽花が重そうに深く首を垂れていた。
(令和4年4月号)