勝井 丈美
優しい紳士だった出雲崎の舅が他界して21年が経つ。舅が健在だった時には毎年、桃の節句に古い雛人形を飾ってくれていた。それは4段飾りのとても美しい享保雛で、5人囃子はいるが3人官女はおらず、代わりに男の踊り子がいる。その雛人形は江戸時代に、出雲崎の代官所からうちへ払下げになったもので、新発田藩から役人が来ていたから、新発田藩の雛人形だったのではないかと舅は語っていた。大正時代に、人形の着物の補修のため、京都へ送られたことがあったそうだ。
2年前の春、ちょうど新型コロナウイルス感染症が蔓延し始めた頃、20年近く蔵の中にしまわれていた雛人形を新潟の我が家で飾ってみたくなった。令和2年3月22日に、夫がようやく探し出して持ち帰ってきた。人形が入っていた古い木箱の中から、おそらくは夫の祖父が書いたと思われる毛筆の書付が出てきた。
昭和 二十年三月
藤本ノ子供 居り
疎開学童 居り
皇室 彌栄り
奉祝
藤本の子供とは祖父の孫娘のことで、深川から疎開。祖父は他にも葛飾からの疎開児童5、6人を預かっていた。子どもたちのために、せめてもの慰めにと祖父がお雛様を飾り、甘酒をふるまったであろうことが察せられた。ただ最後に、皇室のためにと言い訳がましく書いてあるところに、時代の空気を感じた。
折しも、この原稿を書いている時にも、戦火のウクライナから難民となり、苦労している多くの子供たちがいる。お雛様には女の子を厄災から守る願いが込められている。
今年はお雛様をいつもよりも長く飾っておこうと思っている。