松浦 恵子
ここで申し上げる団九郎(だんくろう)は、新潟市中央区関屋のごく一部の地区の呼称です。
団九郎という名の由来について、生涯を団九郎で暮らし、この通り名を愛した父に尋ねたことがありました。「この辺りを仕切っていた親分の名前」とか「川からの荷揚げ(信濃川の傍の地域です)の人足のことを団九郎と呼んだ」とかの説を聞かされましたが裏付けはなく、結局父も「わからん」と結論付けていました。
最近になって、地名由来の有力な?説を目にしました。始まりはM君(小学校から大学まで同窓)がブログに「護摩堂山管理棟山小屋・団九郎」の看板を紹介。それを見たY君(幼稚園から高校まで同窓)が、某同窓会掲示板に自らが調べた団九郎にまつわる知見を書き込んだ
ことでした。以下は、Y君の了承を得ての転記です。
団九郎は護摩堂山に住んでいたとされる狢(むじな)の名前で、貉を狸と解釈して田上町のキャラクターとしているようです。
検索で見つけた、加持顕さんという方の「日々是新潟」というブログには、護摩堂山の狐(に見える像)(貉の像ではない;筆者追記)の団九郎が祀られた石の祠の写真と、狐の団九郎が用立てた、祝儀の折などに使う膳椀類を住民が返さないことに腹を立てて、護摩堂山から関屋浜へ移り住んだ話が紹介されていました。
関屋浜へ移り住んだ後の狐の団九郎については、国際日本文化研究センター(京都)の怪異・妖怪伝承データベースに拠れば、相馬泰三という人が戦前(1935年)の雑誌『旅と伝承』の中に「関屋浜の松林に団九郎という狐がいた。変幻自在の技を心得ており、男気のある狐で、貧乏人が祝儀の折などに膳椀類がなくて困っていると、必要な数だけ揃えて届けてくれるといった調子だった。」と記述しています。
関屋の団九郎の由来は、護摩堂山から移り住んだ、ちょっと男気のある狐の名前だったのです。〔転記ここまで〕
私は、日本昔ばなしのようなこの由来をすっかり気に入りました。以下は私の妄想です。
狐狸は人を化かすと言われ、狐は狡賢くいたずらをするイメージだけれど、団九郎狐は人を助けた。そんな人助けをするからには、そもそも人に恩義を感じるエピソードがあったに違いない。義に篤い団九郎狐。そんな彼が護摩堂山を去り、関屋浜に移り住んで人助けをしたということは、関屋の人々の方でも団九郎狐に礼儀正しく接したに違いない(多分に身贔屓)。今は住宅地の此処もかつては浜地だったのだな。
団九郎狐、とされているけれども、狐ではなく人の逸話だった可能性もあるのでは?他者から持ち上げられることを好まず、匿名で人助けをした団九郎さんだったかも…。
由来を辿って、ますます我が町・団九郎が好きになった私。どなたか他に、団九郎の由来をご存じの方がおられましたらぜひ教えてください。
(令和4年4月号)