田村 紀子
時代とともに私たちの生活環境は変わってきた。特に食生活は、地域性・生活環境・成育歴・個人の嗜好などが絡み合って百人百様だ。
ところで私が関わってきた糖尿病の世界では、近年その治療法は進化し続けている。でも、どんなに良い薬が開発されても、食事療法が治療の根幹にあることは変わらない。そして現代はその食事療法が非常にやりにくい時代だと思う。夜勤、リモートワーク、朝食や昼食の欠食、夕食が21時以降の患者さんも多い。不規則な生活を送りながらコンビニ、スーパーの惣菜、レンチンメニュー、レトルト食品、カップ麺などを利用しながら食事療法を続けている患者さんも多い。また、昔のフランスの王様もびっくりのお菓子やケーキ、アイスクリーム、アルコール、ジュースなどがいつでも手に入る。好きな時に好きな食べ物が自由に手に入る環境下で、治療のために食行動を変えていくことは非常に難しい。理解力・行動力・精神力が必要で、病気を通して患者さんの「人間力」が試される。我々医療者は患者さんが上手に療養生活を送れるように運転技術を伝えることはできるが、代行はできない。できることと言えばせいぜい、ガードレールや標識、信号の役割くらいだろう。糖尿病が厄介なのは、一旦合併症の谷底に落ちると、そのまま廃車(命取り)になるか修理(生き延びて)しても車の性能を元に戻せないことにある。
ある日「先生、俺は食事療法なんて一切やるつもりはないから。これまで通り自由に食べて飲んで血糖が良くなる方法考えてよ。あっ、それから高い薬は出さないで」とのたまう初診の患者さんがやってきた。少し驚いたが、その患者さんは本心を正直に言ったのだと思った。「そんなことが簡単にできたら誰も苦労はしない。病気は病気なのだから、治療に対しての歩み寄りの姿勢は必要だ」と答えた。最近流行りのAIならどう対応するのかわからないが、やり取りを見てみたい気もする。
「昔、糖尿病科という科があって、医療者も患者さんも四苦八苦していたんだって。笑っちゃうよね」という時代がきたらどんなに素晴らしいことだろう。