大滝 一
さて今月はドバイ紀行の後半となります。帰国後の話も含めてご一読ください。
UAEとドバイについて
まず、ここではUAEとドバイについて簡単に触れてみます。UAEはアラビア半島のペルシャ湾に面しており、隣の巨大なサウジアラビアと比べると小さな国で、面積は北海道ほど、人口は約1千万人です。昔はペルシャ湾を通るヨーロッパ船などにはアラブの海賊として恐れられていたそうですが、元来この国は貧しい国で、ドバイも1930年代までは天然真珠を採取するための小さな漁港だったそうです。その後、日本のミキモトの養殖真珠が世界に知られるようになり、ドバイの真珠も天然から養殖へとシフトしたとのことです。
そこに、1960年に石油が出て油田開発が進み、それとともに都市が形成されました。1971年には砂漠であったところに国際会議場、最高級ホテルが次々とでき、ワールドトレードセンターとして一大都市に発展し現在に至っているそうです。将来を見越して、石油が枯渇した場合でも生き残れるようにと観光に力を入れているとのことでした。
このUAEは7つの首長国が1971年に連合しましたが、首都のアブダビと商業・観光都市ドバイの2大都市がメインとなっています。人口はアブダビが290万人、ドバイは1980年の28万人から現在はその10倍の270万人となり、アブダビとほぼ同程度になっています。この二つの都市はどちらも外国からの出稼ぎ労働者が多く、自国民率はアブダビが19%、ドバイにいたっては9%とのことです。ドバイではアパート代が高く、出稼ぎ労働者は数人でアパートを借り、共同生活をしているとのことでした。インドやパキスタンなどの南アジアや東南アジアの人が多いそうです。
UAEは豊かな国で、学費や医療費は無料で、税金もないそうで、ガソリン代は1リットル40円とのことでした。そのうえに自国民の年収が平均で1400万円ですから、リッチなはずです。
観光三日目(2020年1月1日)
さて、2020年の元旦はドバイで迎え、午前はUAEの首都アブダビ観光。そして夜は全長275mにも及ぶ世界最大の噴水ショーを見て、世界で一番高いビル、パージ・カルファに上ります。
アブダビはドバイから高速で約2時間、距離にして約150kmといったところでしょうか。
まず、ルーブル・アブダビを訪れました。2017年11月のできたばかりのルーブル美術館の姉妹館です。この美術館はダビンチがキリストを描いた『サルバトール・ムンディ(世界の救世主)』(写真1)が飾られているということで胸が高なりました。この絵の落札額が508億円で、アブダビ文化観光局が所有しているそうです。さすがUAEですが、とんでもない額には驚愕です。それ以上に、「ルーブル」の名を冠するために540億円、その他にレンタルやアドバイス料など含めてUAEはフランスに1300億円を支払ったとのことです。オイルマネー、恐ろしや!といったところです。
さてそのルーブル・アブダビですが、規模としては本家本元にはとても及びませんが、なんともお洒落で瀟洒なたたずまいでした(写真2)。残念ながら、『サルバトール・ムンディ』は貸出中とのことでみることはできませんでした。しかし、写真3のようにナポレオンの肖像画もあり満足でした。中には日本に関する屏風もありました(写真4、5)。
その後は、年間300万人以上の観光客が訪れるシェイク・ザイ―ド・グランド・モスクです。4万人収容可能な大きくとても綺麗なモスクで、ぜひとも訪ねたいと思っていました。宗教上の理由から女性観光客は、体の線が出ないような服装と、頭や顔を隠すショールが必要で、前日にゴールド・スヌークで皆さん購入していました。女性陣がショールをまとった入場前の集合写真です(写真6)。透き通った真っ青な空をバックに世界で6番目に大きい白亜のグランド・モスクがひときわ美しく輝いています。
このモスクは2007年にUAEが威信をかけて600億円で建造したもので、まばゆい白さは予想をはるかに凌ぐ美しさでした。昨日の花火もありましたが、このモスクを見て、今回の旅行に来てつくづく良かったと思いました。写真を何枚か貼付します(写真7~10)。モスク内の豪奢なシャンデリアはオーストリアが世界に誇るガラスメーカー、スワロフスキー社製です(写真11)。
その後、ドバイに戻り世界一の面積を誇る「ドバイ・モール」でバスを降りました。世界一だけあって、広いひろい。なんとモールの中に、ギネスの認定も受けたことがある巨大水槽まであるのです。ドバイのスケールの大きさを痛感しました(写真12)。
さて、ドバイ観光も締めとなります。828mの世界一の高さを誇るバージ・カリファに上ります。下から見上げるとこうなります(写真13)。まさに聳え立つです!もちろんてっぺんは見えません。バージ・カリファは163階まであるとのことですが、上れるのは159階までで、その上は機械室だそうです。我々が上ったのは124階で(写真14)、そこから煌びやかなドバイの町が眺望できました(写真15)。この上りのエレベーター待ちをしているときに、隣にいた同行者の日本の友達から、「ちょうど今、日本でバージ・カリファの番組をやっているよ」と連絡がありました。
上りもかなり時間がかかりましたが、もっと大変だったのは下りです。人が多すぎてエレベーターがフル稼働しても追いつきません。そのためか業務用のエレベータまで動かしてくれました。私たちはそれによって降りてきました。降りたところで、これも世界一、全長275mの噴水ショー、ドバイ・ファウンテンです(写真16)。その日の最終回のショーに何とか間に合いました。長岡花火のフェニックスも凄いと思いますが、これもなかなかで動画でお見せできないのが残念です。
ということで、バージ・カリファとドバイ・ファウンテンで、実質3日間のドバイとアブダビの今回の観光を大満足のうちに終えました。
旅行テーマ「JWマリオットマーキスに3連泊:10の世界一を巡るドバイ・アブダビ5日間」を振り返って
ここで10の世界一を列挙してみます。
全てにおいて、近未来的要素があふれる素晴らしいものでした。
そして、翌朝、すっかり仲良くなり、私のことを「日本の友達」と言ってくれたガイドのジーコさんとホテルのロビーで肩を組んで写真を撮り(写真17)、日本に帰るために広大なドバイ空港に向かいました(写真18)。
そして帰国後に…!
帰りの飛行機は9時間で、羽田には1月3日夜の11時に着きました。ぐっすり休んで、1月4日朝はホテルの窓から富士山を眺めることができました(写真19)。今年もよい年になると、気分良く昼前に新潟に帰ってきました。
不在だったためにいろいろ必要なものがあり、その日の夕方に買い物に出かけ、その帰宅後でした。5時15分ころ、突然トイレに行きたくなり駆け込みました。すると真っ赤な血が…腹痛などはないものの下血は止まらず、間断ない出血の為トイレから出られず、次第に体が重くなり、頭がくらくらして、立ち上がるのもつらくなりました。血圧が下がったせいか、下血が少し落ち着いたので家内を呼んで市民病院に直行しました。
大腸憩室からの出血でした。内視鏡下に止血してもらい、4日間絶食、輸血と点滴を続け、1週間入院し1月11日に無事退院となりました。
生まれて初めて4日間絶食しましたが、見る夢は食べ物ばかり。鮨にウナギに焼肉にらーめんなど、寝ていながら、むしゃむしゃ口を動かしているのが分かりました。また、学生以降初めての1か月の断酒も行いました。これは思ったよりは楽でした。
この出血が飛行機の中だったらどうなっていたでしょうか。今も考えただけでぞっとします。
ドバイでは「おはよう」は「サバハラヘル」、「おやすみ」は「マサハラヘル」だそうです。ということで、帰国後大変な「ハラヘル」な目にあったドバイ紀行でした。
近況
今回のドバイで海外紀行のストックも尽きました。そろそろ海外に出かけたいと強烈に思うのですが、PCR・抗原検査と予防接種に忙殺される日々です。感染も3年目に入りました。1世紀前のあのスペイン風邪でさえ3年で収まりましたので、そろそろ新型コロナ様、ご終息をよろしくお願いいたします。そして海外に行かせてください。
次はモスクワと思っていましたが、これは別の理由で無理ですね。
写真1
写真2
写真3
写真4
写真5
写真6
写真7
写真8
写真9
写真10
写真11
写真12
写真13
写真14
写真15
写真16
写真17
写真18
写真19
(令和4年9月号)