勝井 豊
実りの秋を迎えて、新米が店頭に並ぶようになった。郊外の国道を車で走ると、稲刈りを終えた田圃や、稲穂が重そうに垂れて収穫を待っている風景を見かける。8月下旬に稲刈りを終えた田圃は、切り株から新芽が30センチも伸びていて、あたかも田植えを終えたあとのようにすら見えることもある。
そのようななかで、田植えをした形跡がなくて、草だけが青々と生えている田圃をちらほらと見かける。周囲に美田が広がっているので、奇異な印象すら受ける。何故か知る由もないが、米作は田植えや稲刈りなど全体を通して手間のかかる仕事であり、機械化が進んだとはいうものの重労働でもあるので、耕作に携わる人が高齢化すると継続がだんだんと困難になるのではないかと思っている。
もともと我が国の食料自給率は高くはないが、そのような状況においても、主食である米は、安定供給を確保するために、貿易の自由化の徹底が叫ばれるなかにあっても、国の政策のもとで輸入には頼らずに自給ができていた。農家や農協も懸命に頑張って自給体制を支えてきたものと理解している。しかし急速に進む高齢化が農業についても、深刻な影響を及ぼしつつあるように思えてならない。
街のなかを見ても、閉店してシャッターを下げたままの店を頻繁にみかけるし、長年にわたって地域医療を支えてきた医院が、残念ながら閉院することも珍しくはない。さまざまな理由があるのだろうが、後継者がいないことが最大の理由になっているのであろう。田園地帯で見かける休耕田は、明日のわが身を暗示しているようにも思えるので、決して他人事ではない。農業のことについて口を出すつもりは毛頭ないが、休耕田が再び美田に復活することを切に願っている。
(令和4年10月号)