浅井 忍
父がケロッグ社のコーンフレークに牛乳をかけて食べていたのは、1963年のことだ。新しもの好きだった父は、その頃、流行り出したブリーフをいち早く身につけていた。その年、日本でケロッグ社のコーンフレークが販売された。父は試供品を食べていたのだと思う。分けてもらって食べると、まるで鶏の餌だと思った。その後20年くらいは、コーンフレークを目にすることはなかった。学会に出かけるようになって、ホテルのバイキングスタイルの朝食にコーンフレークを見かけるようになった。あるとき、魔が差して朝食のコーンフレークをスプーン1杯だけ皿にとりヨーグルトをかけて食べた。到底、食事とは認めることができない、まるで鶏の餌だった。そういえば、父がオートミールに、石油ストーブの上で沸かしたヤカンのお湯をかけて食べていたことを思い出した。あれは洋風お粥だった。
コーンフレークは19世紀の終わりのピューリタン的風紀が求められた時代に、アメリカ・ミシガン州のバトルクリークで生まれた。ケロッグ博士が目指したのは、性欲抑制食品の開発であったという。とうもろこしの粉を原料として加熱し破片に成型しただけのコーンフレークは、評判がよくなかった。コーンフレークに砂糖を加えるよう提案した弟に、砂糖は性欲促進剤であるとして兄のケロッグ博士は猛反対した。しかし弟が反対を押し切って砂糖を加え発売したところ、爆発的に売れたという。
アメリカはオーブンに入れればでき上るTVディナーが流行った国だ。食事に費やす時間はなるべく短くという考え方をするお国柄である。コーンフレークは男女共働きのアメリカ社会に朝食として定着していったのである。
穀物加工食品のコーンフレークやオートミールやグラノーラを総称してシリアルと呼ぶ。オートミールは燕麦が原料であり、グラノーラはコーンフレークやオートミールなどに、ナッツなどを加え砂糖や蜂蜜を混ぜてオーブンで焼いたもので、しばしばドライフルーツが入る。そしてビタミンや食物繊維等が添加されたものもある。そんなずぼらなアメリカの食文化が、1963年以来、日本にじわりじわりと浸透していったのである。今やスーパーマーケットのシリアルコーナーには、数多の種類の製品が並んでいる。
たとえば、将来、不幸にも介護老人施設のお世話になるとして、朝食にシリアルが登場したら、口に入れることを断固拒否しようと思っている。
(令和4年10月号)