伊藤 隆
10年ほど前のことである。私は大学に勤務していた頃、仕事でロンドンを訪れる機会があった。仕事上の私の役割が終わった翌日のことである。リラックスした気分で一人市内の公園を散歩した。
公園内をしばらく歩くと愛想のいい中年の男性が私に声をかけてきた。いいお天気であること、どこから来たのかなど聞かれ、とりとめもない会話を交わしていた。するとそこに大柄な警察官が現れ「この辺りは物騒なので気を付けた方がいい」などと言われた。
パトロール中であるとのことであった。パスポート、クレジットカードなどの提示を要求され従った。クレジットカードについてもいくつか質問された。このあたりの問答の内容についてはよく記憶していない。話の途中、警察官は盛んに襟から小型マイクを出し、何やら小声で連絡を取っていた。
15分くらい話をしたであろうか。二人と別れた後、はっと犯罪の可能性に気づいた。
タクシーに乗り、運転手さんに一部始終を話すと、中年の男性運転手は言った。「旦那、やられましたね。すぐカードを止めなければいけませんよ。私が警察署へ連れて行ってあげます。」と言ってくださった。公園の2人はぐるだったのだ。
警察署へ行った。内部は日本の郵便局の窓口のようになっていて、窓口の中に二人の女性がいた。事件のあらましを話した。警察官(役)?は少しジェームス・ボンドに似ていた、と伝えたら、私の対応をしてくださった窓口の女性は隣のブースの女性に「ジェームスボンドみたいだったんだって!」といい、お二人で大笑いしていた。窓口で対応してもらっている間も警察署には何人かの警察官が忙しそうに出入りしていた。
事態を説明した後、早く日本のカード会社に電話して、カードを止めなくては!ということになった。ブースの中の固定電話を窓口の外へコードを延ばして出してくださった。
私は早速、日本のカード会社へ電話し、担当者に事情を説明し、カードを止めてもらった。
その後はわずかな現金しか残らず、切り詰めて過ごした。
この事件の原因は、何といっても、まぬけな私にあり、何ともお恥ずかしい限りである。
その後、日本へ帰り確認したら、事件から30分以内に数万円が引き落とされていた。
この数万円については保険でカバーされ実害はなかったが、カードを止めなかったら更に被害は大きなものになっていたであろう。
その後ロンドンの警察署から、○○号事件として捜査を開始した、との文書が新潟の自宅に届いた。
なぜ、大切なカードの暗証番号を教えてしまったのか?(日本では絶対にこんなことはしないのに)カードの情報はカードを手渡したときに抜き取られたのであろう。外国で事情が不案内なところで、見ず知らずの人とむやみに調子に乗って話すものではないとしみじみと感じた。
親切に適切なアドバイスをしてくださったタクシーの運転手さん(警察署の外で待っていてくださったと記憶している)。また、親身になって対応してくださった警察署の皆さんに心から感謝している。運転手さんと別れるとき言われた。「ロンドンを嫌いにならないでくださいね」と。
(令和4年10月号)