浅井 忍
ウィキペディアによれば、プーチンは泥棒政治により1600億万ドル(21兆6千億円)の資産を所有しているという。インドネシアのスハルトやフィリピンのマルコスやザイールのモブツなどの独裁者も泥棒政治で資産を溜め込んだが、プーチンの民衆からの収奪は群を抜いていて一桁違う。泥棒政治とは政治家や官僚などの支配階級が、民衆の金を横領する腐敗した政治体制のことだ。
米国イェール大学の歴史学教授であるティモシー・スナイダーは、『ウクライナ危機後の世界』(大野和基編/宝島新書/2022年)のなかで、次のように解説している。プーチンはロシアの三流のファシスト哲学者イヴァン・イリイン(1883年~1954年)の思想を利用しているという。イリインはレーニンの率いるボリシェヴィキから祖国を守るにはファシズムによってのみ可能であると考えた。イリインの主張は、自由や平等は退廃したヨーロッパ的な価値観であり、ロシアにはその退廃的な価値観に侵されない純粋さがあるとした。ロシアの純粋さこそが世界を救済するものであり、その純粋さのために脅威にさらされている無垢なロシアは、救世主を必要とするという。その救世主は政党すら必要としない絶対的な独裁者であるべきだとした。
これほどプーチンに都合のいい思想はないだろう。プーチンとその取り巻きのオリガルヒは、イリインの思想に悪のりして少数の富裕層による寡頭政治、いわゆる泥棒政治を正当化しているのだ。
ロマノフ家は、16世紀初めからロシア革命の1917年まで事実上ロシアを支配した。ロシアの最高権力者がある日突然失脚するパターンは、繰り返されてきた。権力者はいつ引き摺り下ろされるかわからない疑心暗鬼に陥るよりは、野心のありそうな人物の芽を先に摘んでおこうとした。権力の維持や継承に邪魔であれば、家族であろうと親戚であろうと、容赦しなかった。こうしたことが繰り返されるロシアは、ヨーロッパの先進国にとっては、いつまでたっても垢抜けない野蛮な三流国であった。
ロシアの農奴制度は一部の貴族層に富が集中する仕組みになっていたので、ロマノフ家には膨大な金が集まった。田舎者の汚名返上のためにヨーロッパの名家から妃を迎えようとしても、無視されたり婉曲に断られたりした。ロマノフ家が巨額の資金にものを言わせ買い漁ったヨーロッパの美術品が、エルミタージュ美術館の礎になっている。いくら金を持っていても所詮は田舎者というのがヨーロッパのロシアに対する見方だった。
2012年のプーチンの論文には、ロシアとはカルパチア山脈からカムチャッカ半島までの広大な土地に広がるロシアという文化を共有する人々のことであり、ロシアは国家を超えた偉大な文明であると書かれているという。文化を共有するものは友であり、そうでないものは敵であるとした。このような帝国主義的な考えには、ウクライナ人もウクライナ国家も存在しないことになる。野蛮でいつルールを変えるかわからない相手とまともに付き合おうとしないのは当然だが、プーチンはヨーロッパに下に見られてきた歴史が我慢ならないのだろう。ロシア帝国を築いて、ヨーロッパひいてはアメリカを見返そうという妄想を抱いた。泥棒政治で巨万の富を溜め込み、自分の地位を脅かす者は誰であろうと手段を選ばず抹殺するというプーチンのやり方は、かつてのロシアの権力者たちとなんら変わらない。
報道されているロシア軍の所業は国際法違反と指摘されているが、国際法などプーチンにはいまや破るためにあるようなものだ。ロシア軍の無法ぶりはまるでチンピラの仕業に見える。そもそも、プーチンはサンクトペテルブルグの貧困層が暮らす地区のチンピラだったといわれている。ロシア軍の死亡者は少数民族が圧倒的に多いという。まったくもってプーチンは残忍で狡猾だ。
この戦争は何が何でもロシアを勝者にしてはならない。生物兵器も核兵器も使わせてはならない。ロシアが勝利すれば、大国が隣国に攻め込むことが次も起こることになる。そのためには西側諸国はウクライナを可能な限り支援する必要がある。
2022年3月に亡くなったオルブライト元米国国務長官は、2000年初頭、大統領代行だったプーチンと初めて会談したときの印象を、「小さくて青白い爬虫類のように冷淡な男」と述べている。そのとき、プーチンは1989年のベルリンの壁の崩壊のあとに起こったソ連邦の崩壊は予測しておらず、「自国に起きたことを恥ずかしく思っており、ロシアの偉大さを回復する決意をしている」と語ったという。
ウクライナ戦争はあくまでプーチンの妄想が生んだ茶番であることを強く認識しておきたい。ロシアに得をさせてはいけない。間尺に合わない戦争にしなければならない。経済制裁はいずれ終わる。領土を獲得すれば、それはおよそ永遠である。
(令和5年2月号)