真柄 穎一
2022年11月、北スペインを旅した。
コロナ禍以来、久し振りに再開されたグループ旅行を選択した。本来、団体旅行はあまり好まないのだが、スペイン国内の新型コロナ対策、モンゴロイド系人種に対する偏見の有無等、不安な面もあり、とりあえず団体なら風当りも参加人数で割れば少しは弱くなるだろうし、添乗員に相談出来ることもあろうかと判断した。
スペインでは誰一人としてマスクは用いていなかった。例外的に病院、薬局、公共交通機関では義務であるらしかった。
参加者は14名。中年、老年夫婦一組ずつ、単身女性2名、単身男性2名、女性の2名ずつの(姉妹、友人など)グループ3組。主添乗員1名、副添乗員2名という珍しい構成。何れも旅慣れた人達と判断した。空港のチェックイン、機内の振る舞い、服装、言葉使い(多くは英語を普通に喋っていた)、ホテル内の行動、添乗員に対する態度など感心させられることが多かった。
この旅は北スペインだけを巡るもので、マドリード、バルセローナなどの大都市は訪れず、北部の地方都市のみが組み込まれ、明らかにリピーターを標的とした企画と思われた。
FrankfurtからVasc州のBilbao。Cantabria州のSantillana del Mar。Asturia州のOviedo。Castilla y León州のLeón、Astorga。Galicia州のLugo、A Coruna、Fisterra、Santiago deCompostelaに至りその後、ポルトガルのPortoへ。そこからFrankfurt経由東京へと戻った。
昨今、ロシア領土内は不安材料が多く、それを避け、昔のように北極経由の飛行であり、羽田からフランクフルトまで14時間を要した。通常は11時間であると教わった。現在は機材の改良によりノンストップで飛行出来るようになり、アンカレッジでの給油は不要の由。昔、ここの立ち食い蕎麦屋が大繁盛の懐かしい光景と匂いとが思い出された。
北スペインの晩秋らしく、晴れ、曇り、時雨、快晴の朝の霜降と目まぐるしく変化した。著者の旅の荷はいつも機内持ち込みだけなので、余計な防寒具など入る余地はなく、暑さ、寒さは我慢する。寒いと言っても新潟の田舎育ちにとって、この程度の寒さはすべて我慢の範囲であった。
いつの旅だったか、何度目かのスペインで、旅行ガイドに、旅の楽しさは荷の大きさに反比例すると指摘された。この言葉は自身の旅の荷に大きな影響を与えた。スペインでは有名な系列のデパートで総皮製の大きな旅行鞄を買い求め、そのことをガイドに話した時に返ってきた言葉だ。結局、その鞄はその旅行で用いて以来、家の物置に放置されたままの悲しい運命にある。
最初の訪問都市ビルバオではグッゲンハイム美術館を訪れ前衛芸術を鑑賞。ほぼ何が何だか分からず。
夕食は1927年創業の格調高い造りのバルで、有名なバスク料理。生ハム、真鱈のコロッケ、ジャガイモとマッシュルームの煮物、牛肉の煮込み、ピーマンのマッシュルーム詰め、硬いパンの上にトマト、生ハム、フォアグラをのせてオーブンで焼いたものなどタパ(酒のおつまみ風料理)の豪華版。さすが美食のバスク地方と感心した。グラスワインはリオハ地方の赤。グラス2ユーロ。香りが良くそれなりに深みのある、値段の割に好ましいもの。5回お代わりをした。後で知ったがボトル1本11ユーロ。初めからボトルを注文すれば良かったと後悔した。
この時のバルのカマレーロ(日本でいうウェイター、ボーイさん)との会話。このリオハの赤はとても好ましいとまず褒めた。リオハの赤ワインには3段階の格があり、短期熟成のクリアンサ、中等度熟成のレセルバ、長期熟成のグランレセルバに分類される。今飲んでいるこのワインはグラス2ユーロだから長期熟成の高級品の訳がない。若いクリアンサであろうが、あえて、これは中等度熟成のレセルバですかと問い、そのカマレーロの表情を窺った。少し嬉しそうな顔の後、これはクリアンサでテンプラニージョ種100%と答えてきた。カマレーロとワインを褒める裏技が成功してとても気分が良く、つい、帰り際にそのボトルを買い求めてしまった。後で重荷になることは分かり切っているのに。結局そのボトルは次の宿泊地のホテルの従業員にプレゼントした。少し怪訝な表情が見て取れるも、Muchas graciasの語が返ってきた。
次に訪れた小さな町、アルタミラは有名なアルタミラ洞窟のある町。以前に家内と二人で予約なしのブラブラ旅で訪れていたので最後尾について見学した。洞窟の説明書。英語、スペイン語、イタリー語版を求めた。読めもしないのに。記念品として求めた。その日の宿泊のパラドール デ ヒル ブラスのあるサンティジャーナ デルマールは石畳の続く中世の雰囲気の残る、スペインの美しい村に選出されたことのある有名な地。貴族の館を改築した格調高い、古風な宿。調度品も同様でとても気に入って一泊を楽しむことが出来た。
翌日はオビエド経由レオンへ。
オビエドでは、小高い丘の上に造られた古い(西暦842年建立)ロマネスク様式の教会(教会というより、昔、教会であった遺跡と表現した方が良い感じ)を見、野ざらし雨ざらしの割にしっかりと立っていることに感銘を受けた。また、地元の人々が利用する市場に立ち寄り、自宅の黒胡椒の残が少ないことを思い出し、小さな一瓶を買い求めた。
レオンでは改築を終えたばかりの大規模なパラドールに宿泊。夕食の野菜サラダ、鴨のコンフィ両者とも丁寧な作り。地の赤ワイン、メンシーア種は好ましい土の香りのある重厚な感じのもので可成り楽しめた。この夜、夢を見た。このホテルの次の夕食時、注文するワインの自分の好みをどの様に表現するのか、どのような言葉を用いてソムリエを困らせるか、覚醒し、電灯をつけ、辞書を見た。合計3回覚醒した。馬鹿な男の夢のような一夜だった。
翌日の旧市街、大聖堂、ガウディの館の見学は余り興味がわかず。午後の自由時間、市内の書店を紹介してもらって辞書を買いに行った。目的は西−伊、西−仏、西−独。ほぼ目的の程度のものを購入。さらに珍しいラテン語/スペイン語、スペイン語/ラテン語辞書があり、豚に真珠であるが購入。ついでに、El Camino de Santiago巡礼路のエッセイも。今回の旅の目的の一つが達成された。
夕食の鮭のソテーは質が良かった。多分、大西洋産の天然ものと想像し、また、リオハの赤、中級品はそれなりに納得の味。周囲の人達にも勧め、その中に新発田のK酒造の五郎八が好みで毎年時期になると取り寄せているという、静岡県の単独参加の老婦人にお会いし、スペインで gorohachi の語を耳にしたことにとても驚いた。旅の良い思い出である。
翌日はアストルガ、ルーゴ、ア コルーニャに向かう。朝食の定番、ハム、ソーセージ、チーズ、スモークサーモン、パンはいつの旅でもスペインのどこのホテルでもそれなりに、日本では経験出来ない質の良さ、高さを感じた。ここに安値であっても元気で気軽な赤ワインがあれば我が家では高級な晩餐に匹敵すること間違いなしだ。
アストルガではガウディが建てた司教館を訪れ、次のルーゴでは3世紀に築かれた城壁の上を歩き、さすがローマの遺跡と感じ、以前、旅したセゴビアのローマ時代の水道橋遺構の思い出と共に強い印象を持った。
宿泊地のア コルーニャのホテルの夕食が個人的に気に入らず半分は残した。子供の頃から食事は残してはいけないと教えられていた筈なのに。但し、注文したワインは一本全部自分で飲んでしまった。
翌日、世界最古の灯台、ヘラクレスの塔(Torre de Hércules、世界遺産、ローマ時代に建設)を訪れ、その重厚感を味わった。訪問の価値があると思った。
その後、フィステーラ(スペイン最西端の岬)を訪れた。以前、スペイン語教師に教わった、フィニステラ(地の果て)が語源であることを思い出し、スペイン人はもとより巡礼者の最終目的地であることを実感した。
昼食は海鮮レストラン。旅行者にも現地人にも人気とのこと。アサリ、マテ貝、メルルーサ、カサゴは新鮮で、さすが地の果ての海辺の町という感を持った。しかし、残念なことに市場で見た見事なカメノテは出て来なかった。また、日本のシシトウよりもずんぐりむっくりの素揚げに岩塩は止まらぬ美味と思った。
その夜の宿泊はサンティアゴ デ コンポステーラのパラドール。夕食にソムリエと相談して決めたメンシーア種の赤ワイン。納得の高級感で嬉しかった。ただし、期待していた子羊のオーブン焼きでなく、日本のビーフシチューのように煮込んで、日本と同じ陳腐な付け合わせで少しガッカリだった。折角、グループとは分かれて一人で夕食に臨んだのに。
次の朝、近くの市場へ。念願の山羊のチーズ。期待以上の買い物だったし、帰国後に食べてみて嬉しい結果だった。また、生のヘーゼルナッツを少し買い、炒って食べてみた。滅多にない美味しさだった。同じ市場で生牡蠣が売られていて6個を注文、半割のレモンを貰って絞り、自分の指を使って食べた。これまた美味なり。立ち食いで手を洗うことも出来ず、指をしゃぶってその余韻を楽しんだ。
スペイン最終日のパラドールの朝食は以前に一度経験していたので大きな期待を持ってレストランへ。ハム、ソーセージ、チーズ、スペインオムレツは上級品(日本と比べれば極上品)、それと共に無料のスペイン産発泡性白ワイン、カバを大きなグラスに思い切りなみなみと注いで楽しんだ。給仕人がコーヒーを注ぎに来たが拒否。日本はこれ(このカバ)をコーヒーと告げると怪訝な面持ちで去っていった。ごめんなさい。
翌、午前9時、最終目的地ポルトガルのポルトへ出発。家並みがモノトーンで落ち着いた感じがスペインと異なると思った。
レロ書店(どういう訳か世界中の旅行者に人気で入店に予約必要という変な店)、鉄道のサンベント駅(アズレージョ、青タイル画が美しい)、ピラールの丘のロープウェイ(有名なポルト酒を運び出す河口を見下ろせる)を訪れた。ポルトの3大名所らしい。
夕食時、ソムリエが勧めたポルトガル産の赤ワイン(聞いたことのない3種の黒ブドウが用いられていた)は、初めて経験するアロマでどっしりとしたボディと美しいルビー色はポルトガルを訪れて良かったと思わせるものだった。
翌朝2時半、添乗員自身によるモーニングコール。3時半ホテル出発。ポルトの空港で、40年物のポルト酒(高価と思ったが恐らく二度と訪れることはないと思い購入)。帰国後、その優雅さに酔い、聞きしに勝る優れ物と恐れ入った。
ポルトからフランクフルトへ。娘への土産、T社のピンクシャンパ―ニュ。日本では滅多に見ないもの。シャンパーニュ狂にはうってつけだ。
帰路は13時間の飛行。往路、隣席の日本とオーストリアとのハーフ、イタリーの血も入る商用の旅行者と少し話したが、帰路もまた偶然に隣席。こんなこともあるものだ。
10時半、羽田着。12時半東京発。アサヒスーパードライと鯵の押し鮨は旅の終わりが感じられ、胸の内は寂寥感で一杯。しかし、別の心の隅には来年のスペイン旅行の構想が湧きたち始めていた。
(令和5年2月号)