伊藤 久彰
私は今年の1月で87歳になり、数えで米寿になりました。頭髪は白く薄くなり、背中は曲がり白内障が始まり、外観は立派な年寄りになりました。脳力?の方も人の名前、それも身近な人の名前さえ思い出せない時が増えました。一昨年に転倒して怪我をしたので、自分の医院の仕事場の通用階段にも手すりをつけてもらいました。本来、脚力をつけるために、もっと歩けば良いのですが、これまで毎日、特養への出稼ぎでしたので、1日2000歩がやっとでした。忙しさと一人暮らしのために、家の中はごみ屋敷でした。長男が心配して、ダスキンの「お掃除券」を贈ってくれたので台所と流しを綺麗にしてもらいました。次は風呂場とトイレの掃除を頼む予定です。今年は金土日の特養出稼ぎをやめましたので、かなり楽になりました。それでも月曜から木曜まで特養の嘱託はしばらく続ける予定です。現在、買い物その他の自分の仕事では自分で車を運転して行きますが、特養の仕事ではハイヤーを回してもらっています。
今年は運転免許更新の年でしたがゴールド免許でした。健康の方は前立腺のPSAは10年来グレーゾーンですが精検はしていません。心電図では心室性期外収縮が出ています。白内障も始まっています。今年の正月は子供と孫がみんな来てくれて、子供とその配偶者と孫の合計11人で寄せ書きをして、私の米寿を祝ってくれました。ただ子供の配偶者までも名前を連ねてくれたことは想定外でした。現在は施設で回診していると、利用者さんから「先生、転ばないようにね」とか「先生、お大事にね」とか云われて、同病相憐れみながら毎日を過ごしています。私の妻も施設に入所して10年以上になりました。私は妻の入所している施設の嘱託医師なのでコロナ全盛の時代でも私は妻の様子を知ることが出来て良かったと思っています。しばらくはこの状態を続けてゆきたいと思っています。
(令和5年4月号)