松浦 恵子
昨年、団九郎のことを書いた文章を本誌に投稿した。それを読んだ知人(互いに面識がない)二人から「お父様と団九郎への愛情が滲む話」との読後感をいただき驚いた。正直言って、父のことを書いたつもりはなく、団九郎のついでに父を登場させただけだった。けれど思い返してみると、これまで私の文にはしばしば父が顔を出していた気がする。で、ここらで父を主役にしようか、という気になった。
父は言葉遊びが好きだった。親父ギャグの類である。最も古い記憶は私が小学生の頃。運転免許を持たない父は、越後線を使って通勤していた。毎朝、家を出る時が慌ただしい。なぜか汽車時間ギリギリになり「きょうりょく、きょうりょく、みのふぁーげん!」と叫んで出て行く。「急いでいるから、みんな協力してくれ!」という意味だろうと私は解釈しつつ、母に「みなふぁーげん、って何?」と尋ねると「薬の名前」との答え。その名については長じて私も熟知するところとなったが。
話はそれるが、私も時間の余裕なく行動しがちで、列車やバス時間、会合や人との待ち合わせなどいつもぎりぎり・バタバタしている。今回書いていて、父に似たのか?と思う(俺はお前ほどじゃないぞ、と父が言いそうだ)。
父の言葉遊びをもう一つ。私の名“けいこ”をもじって“きこ”と言い、そこから派生して“きこきこランラン、きこランラン”と節回しよろしく呼びかける、ご機嫌な時の言い方。私の妹は“みちこ”で私は“みっちゃん”と呼んでいたが、父はそれをもじって“みっちょんちゃん”という呼び名を創った。私が中学生の頃、アグネス・チャンがメディアに登場したが、妹はちょっとアグネス・チャンに似ていて、父はそこを突いて妹に“チャン・チョン・ミー”なる中国風?名を付けた。当時、家族で大笑いしたものだ。
思い返せば、父は面白がること、面白がらせることが好きで、概して機嫌のよい人だった。私も内々では何かとウケたがり(けれど高率でスベる)。日々機嫌よく生きる、が目下の目標だ。
(令和5年4月号)