中村 茂樹
「佐渡っていい所ですよねー」「うちのダンナは佐渡出身です」「じゃ佐渡へ社員旅行するかっ!」そんな仕事中の雑談から、開業15年で初めての社員旅行をやろうと思い立った。時期は年間で患者さんの最も少ない年度末・年度初めの1泊2日、家族連れも含め計28名の「修学旅行」は、春の快晴と五分咲きの桜に恵まれた。
社員旅行の目的がスタッフの慰労や、コミュニケーション作りであるのはもちろんだ。しかし今回私は、「新潟県民として佐渡の豊かな文化を知ろう」と宣言した。というのも、私が18歳で東京での予備校暮らしをした1年間で、友人達にもっとも驚かれたのは、新潟県民である私が佐渡へ行ったことがない事であり、さらに私がスキーができない事だったからである(なので翌年入学するや、まずスキー部に入部し、夏休みには佐渡旅行をした)。日本について語れない日本人を、外国人は日本人とみなすだろうか。同様に私たちが佐渡旅行の経験があったり佐渡おけさを踊れることは、他県から見れば新潟県民へのminimum requirementsであろう。
ところで船旅は、旅情ではフェリーがジェットフォイルに勝る。そこで行きはジェットフォイル(写真1)帰りはフェリーにして、旅情と滞在時間とのバランスを図った。朝早い集合時刻にも誰ひとり遅れず、まずは出発ロビーで結団式して乗船(写真1)。約1時間で両津港に着き、レンタカー8台で北沢浮遊選鉱場(相川)へ向かった。壮大な選鉱場跡で明治政府の大いなる気概に触れ、次に近くの佐渡奉行所跡を見学(写真2)。隣の相川病院(現 診療所)には医局員時代、アルバイトでお世話になった。まる1日、病棟の下働きから離れて旅行気分でひとたび船に乗れば、港までの送迎つきで職員の方がチヤホヤして下さり、給料はグッと良く、おまけに仕事上がりにはお刺身とビールまで出たので、外科医局員には大人気だった。
奉行所後のランチは、地元の知人のおススメで寿司の「初」とイタリアンの「京町亭」の2グループに別れたが、それぞれ高評価だった。
午後は佐渡金山「宗太夫坑」で、江戸時代さながらの地下の採掘現場を見学。罪人たちが「早くここを出て酒が飲みてーなぁ」と、暗闇の中で強制労働させられていた。
金山を後に、宿「浦島」(佐和田)に早めにチェックインし、優雅なラウンジで松林を見ながら午後のお茶を楽しんだ(写真3)。この間、新潟から剣道防具を担いできた私は単独行動をとり、現地の剣友達といい汗を流した。このホテル「浦島」は、巨匠ポール ボキューズ(リヨン)に師事したという須藤良隆シェフの本格フレンチで、ここ数年名を挙げているホテルである。30年以上前だが私も内視鏡手術の開祖フィリップ ムレー先生を世界で初めてリヨンに訪ね世間に紹介したので、これも何かのご縁と感じた。須藤シェフは今回の夕食でも、目にも舌にも鮮やかなフランスのエスプリを、絵巻物の様に繰り広げてくれた(写真4)。ワインはたちまち10本空き、当然私はベッドに轟沈した。
さて2日目は自由行動。こんな時、女子たちのスマホによる検索力は素晴らしい。
そのうちの一台の後について、羽茂のベーカリー「T&M」を訪ねた(写真5)。主人はニューヨーク出身のパーカッショニストMarcusで、完璧な日本語でアメリカンジョークを飛ばす、愉快な男である。小さな店内では、見るからに美味しいと分かるパンが木箱の中に並び、瞬く間に売れてゆく。こういう店がなぜ都市部にないのか、逆に不思議に思う。
他のグループも陶芸、シーカヤック、お寺巡りなど思い思いに選んで楽しんでいたようだ。ちなみに普段私は「至」(逸見酒造)を愛飲しているが、島外には出荷していない「至」大吟醸を売る店が佐和田にあると聞き、事前に突き止め、数本求めて帰りのバッグに忍ばせた。
自然、農業、伝統文化、芸能、スポーツ、グルメ…。佐渡は多彩な文化が凝縮した島である。その佐渡の素晴らしさ、豊かさは、まだ十分に評価されているとは言えない。とくに新潟県民から。そして何回か佐渡に渡らなければ、私たちはそれに気づかない。現地の友人が「佐渡には何もないけれど、何でもあります」と言っていた。私達新潟県民は、まずは佐渡旅行をして、佐渡と新潟県を知るべきだと考えます。
いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ(徒然草)。
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写真2
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(令和5年5月号)