永井 明彦
天候に恵まれたゴールデンウィークの初日、日頃の運動不足を解消すべく、久しぶりに西蒲区の角田山に登った。本誌先月号の中村茂樹先生の寄稿文ではないが、新潟市民であれば、海底火山の噴火でできた角田山や隣の弥彦山に親しむのは大切だと思ったからでもある。
前日にチャットGPTに「新潟市にある角田山はどんな山?」と聞いてみたら、「標高726メートル、日本百名山の一つ」との迷答が返ってきた。正しくは標高481.7メートルだし、NHKが放送している「にっぽん百低山」の間違いかも。生成AIもいい加減なものである。自ら情報の海に溺れて、真偽の見極めが不確かだ。コンピューターウイルスソフト作りなどで、悪用されないことを願うばかりだ。
新潟県の100以上の山に登ったという登山家のブログがあり、全部で17コースもあるという角田山の登山ルートの詳しい解説がある。それによると、ブログ氏が巻観光協会公式サイトより引用している図のように公式ルートは7つで、後の10ルートは非公式なルートだという。
角田山の南には麓の彌彦神社で有名な弥彦山がある。標高は東京スカイツリーと同じ634メートルだが、9合目まで車で行けるので、歩いて登る人はいない。しかし、角田山は日帰り登山に好適で毎日登る人もいるという。
実は、私には弥彦山との大いなる縁がある。私の誕生日はパリ祭の7月14日、その日は旧亀田町にある伊夜日子神社(彌彦神社の分社格)の袋津大祭の宵宮で、生まれた私の名前に彦の一字が付いた。また、弥彦山ロープウェイの「やまひこ」号は65年前に私が命名した。図らずも名付け親になった経緯を記すと、祖父が孫の私の名をかたって愛称募集に応募し、「やまびこ」と書いた葉書の筆圧が弱くて「やまひこ」と誤読され、同じ愛称で応募した子供達の中で幸運にも一等賞に選ばれたのである。賞品は子供用自転車で、小学校にも天体望遠鏡が贈与された。小学生の私は亀田でちょっとした有名人になったものだ。
さて、肝腎の角田山登山の話をしよう。恥を忍んでこの一文を書こうと思い立った山登りの顛末である。5月3日の朝、車を停めた角田浜駐車場に一番近い非公式ルートの「此の入沢コース」を登り始めた。ストックを突いた老夫婦が登って行ったので何となく付いて行き、沢沿いの左側の林道を進んだのだが、それが悪夢の登山の始まりだった!春の角田山は「花の山」と言われているが、途中で登山道の花々を管理しているというお爺さんに出会って話を聞くと、今年は花が早く咲いて、雪割草は勿論、カタクリの花もとっくに終わってしまったという。
花といえば、角田の山肌のそこかしこにも野生の藤の花が咲き乱れていた。後で知ったが、マメ科の蔓性植物で繁殖力の強い藤は、木々に絡みついて木材の質を落とす厄介者だそうだ。昔の山仕事では、絡みつく藤の蔦を切って増えないように注意したという。林業を生業とする人が高齢化で減って山に手が入らなくなった現在、薄紫の可憐な藤の花は「山が悲鳴をあげている象徴」だというのだ。私の診療所の庭にも移植した藤棚があるが、完全に移植したと思った元の場所から知らぬ間に蔓が伸びて花が咲き、藤の生命力の強さに驚いたことがある。
さて、「此の入沢コース」は平坦な樹木林から沢登りになり、途中で沢を越えて右側の尾根伝いに登り、「桜尾根コース」に合流するのだが、沢を越える道が判らず、そのまま左側の細い登山道を登って行ってしまった。非公式ルートのためか、登山道の標識はないし、登山者も殆どいない。道はだんだん険しく狭くなり、獣道みたいになって次第に直登に近い形になった。行くも地獄、帰るも地獄のような状況で、Tシャツ・ジーパン・スニーカーの軽装で気楽に登山にきたことを悔んだが、後の祭りである。山の花を愛でるどころか、藁をも掴むじゃないが、弱々しい草木も掴んで、滑り落ちないように必死で登る。ジーンズは泥だらけ、両腕は切り傷だらけ、遭難の危険性さえ感じて翌日の新聞に載るのかと覚悟した。マラソンを走ることは共にとっくに止めたが、犬の散歩で歩く程度の夫を尻目にトレーニングを欠かさない妻は、健脚を発揮してドンドン登り、上から「こっちの方が登り易いよ」と指示する。四苦八苦して登っていると、私達以外にも迷って道ならぬ道を登る登山者がいるようで、木々の間に架けられた命綱のロープが現れた。その命綱に助けられ、這々の体で「桜尾根コース」の尾根道に辿り着いた。“角田山、怖るべし”である。2倍以上の時間がかかって頂上に着き、冷たいお茶で喉を潤し、オニギリを頬張った。帰りは「桜尾根コース」を下ったが、結構急な尾根下りで、膝はガクガク、翌日の腿痛も半端でなかった。
帰途は弥彦の日帰り温泉「さくらの湯」に浸かって汗を流した。休日なのに混んでなくて良いお湯であった。新潟市に近けりゃもっと混むなと思ったが、角田山登山後はこの温泉に限る。その後で山麓のカーブドッチに寄った。このワイナリーは30年前に設立され、私達も物珍しく思ってブドウの若木を購入した。ちょうどその頃、診療所を改築し、庭の大きな栗の木や木斛(モッコク)を処分しようと思ったが、切り倒すのはモッタイない、せめて木斛だけでも移植先はないかと、カーブドッチの落さんに話したら「うちの庭にどうか」と言うので、喜んで寄贈した。その木斛が元気に立っているのを久しぶりに見て、安心した。それにしても、カーブドッチはホテルやレストランやヴィネスパなどを増設し、大きくなったものである。訪れる人も多く、地元の一大リゾート施設になっている。
という訳で、以上が今年の連休に角田山に登った一部始終である。来年も角田山登山をするなら、角田浜から登る公式ルートの「灯台コース」にするか、海側の反対から登る楽な公式ルートの「稲島コース」にしようかと思案するこの頃だが、田上町の護摩堂山にハイキングして紫陽花を愛でるのも悪くないかななどとも考えている。年寄りの冷や水とか年甲斐もなくなどと言われないためにもね。
30年前に移植された木斛(モッコク)
(令和5年6月号)