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新潟市医師会報より

新潟市医師会

シーボルトの桜

佐々木 壽英

阿賀町の桜を撮影するため、2019年4月22日常浪川沿いを遡っていた。上川地区栃堀集落で赤いトタン屋根の家の桜が目に入った。雪も消えてこの家の横にある田んぼでは代掻きがはじまっていた。代掻きのトラックターや御神楽岳を入れて撮影した。代掻きをしている農家の人達と話をしている中で、シーボルトの桜の話が出てきた。その桜は代掻き田の隣で、青いトタン屋根の家の庭先にあった。一抱えもある太い桜の木が1メートルほどの高さで折れて、その根元から細い桜の木が数本出ていた。桜は満開であった。

2022年4月25日、シーボルトの桜の謂れを知りたいと思い、栃堀集落を訪れた。渡部家のご主人から、「津川町夷棚(エビスタナ)集落、佐藤家出身の佐藤見瑞医師は会津藩の御典医で、幕末に長崎でシーボルトから医学を学んだ。帰郷の折、シーボルトの桜を持ち帰って夷棚の実家に植えた。佐藤家から3代にわたって嫁を貰っていた関係で、渡部家にシーボルトの桜の子孫が伝わった。2011年、豪雪のため幹が折れてしまったが、根元から新芽が出てきている、再生保存したい」との話を伺った。庭先で咲き誇っていたシーボルトの桜の花を何枚も撮影して帰った。

その後も夷棚集落に今もシーボルトの桜の親株が現存しているか知りたいと思っていた。そこで、2023年4月9日に夷棚集落を訪れてみた。たきがしら湿原へ向かう228号線の三宝分から柴倉川を渡って山中に分け入った。所々残雪が残る山肌に田んぼの痕跡があり、一軒の赤い屋根の家が建っていた。人の住んでいる気配はあったが留守のようであった。少し離れて古い墓があり、そのお墓の中にひときわ目立つ石碑があり、近づいてみると、これが佐藤見瑞医師の墓であった。明治11年3月17日、行年70歳、俗名佐藤見瑞と彫ってあった。付近に目を配ってみたが、桜の木を発見することはできなかった。

シーボルトの桜の原木は既に朽ち果ててしまったのか、見つけることはできなかったが、佐藤見瑞医師の墓石を発見できたのは収穫であった。

その足で、栃堀集落の渡部達也氏にこのことを報告するため立ち寄った。例のシーボルトの桜は、今年の大雪で若木の枝が折れてしまって、無残な姿であったが、美しく咲いていた。

ご存知シーボルトはドイツ人で医師・植物学者、オランダの軍医。1823年に来日し6年間滞在、鳴滝塾を開いた。ヨーロッパに帰国して、日本の研究書『日本』や『日本植物誌』などを発行している。1858年6月に再来日し3年間滞在した。

佐藤見瑞医師は1908年69歳で亡くなっている。

シーボルト再来日は1858年から1862年までであり、見瑞19歳から23歳の頃である。御典医として長崎留学をしたのか、留学後に御典医になられたのかは不明であるが、長崎留学はシーボルトの再来日と時期が重なっていることが分かる。見瑞医師が持ち帰ったのは、シーボルトが全国から集めた桜の一種と思われる。(参考:徳間文庫、浅井まかて著『先生のお庭番』)

この津川にシーボルトの桜として伝わっている桜が、どのような桜か、シーボルトとどのような関わりのある桜なのかを知りたくなった。

そこで、桜の花の種類から検索してみたが、種類があまりにも多くて、特定することはできなかった。

シーボルトが全国から集めた桜の中の一種なら、奈良の八重桜が似ているかなと思う程度であった。

これは専門家の意見をお聞きするのが早道と思い、県立植物園に電話してみた。

そして桜の専門の方からご指導を頂いた。先ず、桜は種類が多く、品種を特定することは難しい。八重桜の花びらの数は樹勢によって異なること、花びらの色も咲き始めと終わりころでは違うなど、品種を特定するときの難しさを教えてもらった。

写真だけでの特定は難しい。しかし、桜を見た時の第一印象が大事であるとのことであった。

シーボルトがオランダへ持ち帰った桜は、学名がCerasus serrulata “Hokusai”と命名され、1866年頃ヨーロッパに紹介された。葛飾北斎に因んでこの名がつけられたと云われている。日本ではこの名の品種は知られていないとのことであった。

英国・キューガーデンから導入したシーボルトの桜「ホクサイ」の写真と津川のシーボルトの桜の写真を比較して、桜の専門家は二つの桜が同種類の桜と同定することは難しいが、第一印象は非常に似ている。葉っぱは赤みがかっており山桜系統で同じである。「奈良の八重桜」ではない、と教えて下さった。

佐藤見瑞医師が津川へ帰郷するとき、シーボルトがオランダへ持ち帰った桜と同じ種類の桜を「シーボルトのお庭番」の熊吉に梱包してもらって、持ち帰った可能性が高いと考えるようになった。

1880年頃、津川の山奥の夷棚集落には主に山桜が咲いていたであろう。その集落に八重桜「シーボルトのホクサイ」が咲き誇っていた景色を考えるとロマンを感じる。

今年2023年8月はシーボルトが初来日した1823年8月から200年という節目の年である。

写真1 栃堀集落、渡部家の「シーボルトの桜」

写真2 渡部家の「シーボルトの八重桜」

写真3 夷棚集落にある佐藤見瑞医師の墓

(令和5年8月号)

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