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新潟市医師会報より

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紀行文 ~富士山、その頂きで思うこと~

中村 隆人

「日本最高峰富士山剣ヶ峰 三三七六米」と書かれた石碑と、雲海から昇るご来光をバックにくたびれたピースサインをする息子。いつも通りに冷めた目で面白くなさそうな表情を浮かべているようにも見えるが、僕にとっては普段と少し違う12歳の彼だった。

昔から息子は僕につれない。外で遊ばせようと誘っても断わられ、それならば会話だけでも、と話を振ってもにべもなく「わからない」とだけ。まるで親の用意した話題で楽しむことが生理的に面白くないかのようだ。思春期特有の感覚の気もするが、彼は幼稚園の時からそういうタイプだし、よく考えれば四十路の僕にもその傾向がある。

5/5 河口湖、序章

GWの朝、僕ら家族は河口湖でカヤックをしていた。せっかくの旅行先でも外出を好まず、親の誘いも断りゲームに興じるばかりの息子だが、その日はガイドが話す富士登山の話に珍しくキラキラした目をして食いついていた。

怠惰に消化するだけの日々から息子を救うための時間は、もはや多く残されていない。中学生になれば尚の事つれなくなり、ムカつく親父のレッテルを張られ、疎遠になりこそすれお近づきになれないだろう。よし、これは理想(笑)の親子関係をつくり、息子をアクティブな漢に変貌させる残り少ないチャンスに違いない。山登りは大嫌いだけど、取り敢えずのっかろう。

さっそく車を飛ばし5合目から富士山を見上げれば、快晴のお陰か案外に頂きは近く感じられる。いかにも裏がありそうな取っつき易さだが、イケると勘違いしたのか息子は予想以上に乗り気となり、ここに富士登山プロジェクトが始まった。

6/11、7/17 練習期間@角田山

(灯台、稲島コース)

しかし、経験値ゼロの登山者がいきなりラスボスに挑戦しても結果は見えている。富士の頂どころか山小屋にもたどり着けず下山、涙を呑み後悔に打ちひしがれながら帰途の高速を爆走するに違いない。そんな結末はどうしても避けたいと、小学校の登山授業の記憶を頼りに角田山で練習をすることにした。

素直になれない息子と、歪な教育観と期待を手放せぬ父親にはツナギは必須だ。そこで友人2人を招集した。大人の一員として扱われることは必ずや息子に良い影響を与えるだろう。

実際登ってみると、角田山侮るなかれ。(永井先生の「角田山、怖るべし」をご覧下さい)相当キツいコースの先に待つ達成感や素晴らしい景色、山頂で味わうコーヒーは格別で、息子も同じ感動を抱いてくれたようだ。チームの士気は上がったし、息子も練習期間を経て、自然に自分から装備のチェックや荷造り、装備の片付けを行うようになっていった。

7/20 富士登山1日目、いざ静岡へ PM7:00

急ぎ仕事を終え、深夜の慣れない高速道路を爆走し静岡の宿へ向かった。雨の視界不良に加え四方八方トラックというプレッシャーは相当な恐怖だったが、実はこの強行移動は登頂成功率50%台と言われている富士山攻略に必須と思ってのことだった。

高山病は小児や高齢者に多く、低酸素性血管収縮による水分漏出がその病態である。重症では肺水腫や脳浮腫などに至ってしまう。祈るしかない天候要素を除くと、登頂を妨げる原因は対策可能な高山病によるところが大きい。体力的要因は思ったより少なく、高齢の登山者も見かけるほどだ。

標高700m強ある富士山周囲で前泊し順応することは、既に登山の一環、最初の通過点だったのだ。そう、もうすでに戦いは始まっていた。

ところが戦いに伏兵はつきもので、その晩の予期せぬ伏兵は友人2名の轟音と呼べるいびきだった。こんな事もあろうかと用意していた最先端のノイズキャンセリングイヤホンを手にニンマリしたが、全く効果なく寝たり起きたりを繰り返すうちに夜が明けてしまった。

7/21 2日目、準備・出発 AM6:00

しかし、大いなる目的を持つ4人は常に前向きで明るい。睡眠不足なぞ、むしろ気分を高めるものでしかない。意気揚々とする皆と一緒に、息子も慣れないコーヒーをうまそうにすすりながら入念に山に臨む準備をしていた。

未経験者による失敗の許されぬミッションには百戦錬磨のコーチも必要だと思い、ガイドも雇ってみた。適切な装備や足の運び方やペース指南など素晴らしい指導ばかりで、5合目富士宮口でスタートを切り、景色を見たり冗談を言ったり周囲の登山者と声を掛け合っているうちに、あっけなく8合目山小屋に到着した。

7/21 山小屋着 PM4:00

実は今回の登山、山小屋の悪評高さが一番の心配だった。小綺麗な宿しか経験のないMY BOYは、いつ洗濯したか不明な埃だらけの寝袋で1畳に2人という、最悪な環境での雑魚寝を受け入れられるのだろうか。

ところが山小屋もコロナ禍により改良され、思ったより広々と清潔な印象だった。息子も「思ったよりイイじゃん」とコーラを片手に(高地では炭酸がうまい)荷物を整理し、18:00には入眠。0時過ぎの出発には早く寝なければ、と計算したのだろうか。先を見越した責任感ある行動に思わずニヤけた。大人達も軽くビールを飲んで我急ぎ横になったが、再び響き渡る2人のいびきと、そこにステレオ挟みされたガイドさんや他の登山客への罪悪感、明日への期待、等々で、やはり殆ど寝られなかった。

7/22 3日目、出発 AM1:00

時計は0:00。普段と違いスッと目を開け準備を始めた息子。成長著しいと思ったのも束の間、すぐに「靴下がない」と言い出した。寒さや靴擦れという大敵から足を守る厚手の靴下は、命綱といっても過言ではない。寝静まる他の登山客への迷惑を顧みず、ガサゴソ音を立てながら荷物をひっくり返したが見つからない。結局、大人用を友人に借りて出発したのだが、その後、息子のザックから靴下が出てきた。おい、どこ探してたんだよ!と喉元まで出かかったが、ぐっと飲みこんだ。これから厳しい後半戦。雰囲気を損なう言動は慎むべきだ。

凛とした外気に吐く息は白く、頭上には満天の星空が広がっている。ぼんやりとしつつ不思議なほど明瞭に、絹帯の様な美しさで夜空にかかるのが天の川だ。

圧巻の夜景とは裏腹に、皆すこぶる体調が悪そうだった。息子も頭痛や吐き気がすると言い始め、どんどん顔色が悪くなっていった。これが高山病か。頂に近づくほど空気は薄くなり、消耗、症状が顕著となる。残り標高150mで突然ガイドが「もう少し!ここからは気力です!」と周りを鼓舞したのはこの状況を予知しての事だった。

7/22 山頂 AM3:50

9合目から上の山小屋には万年雪がある為、水をつかった人間らしい温まるメニューが並ぶ。夜食で少し回復した体力も底をつきそうになり、言葉数がめっきり減った頃、やっとのことでフラフラと山頂に達した。

山頂ではゴツゴツした赤茶色の溶岩石からなる峰々が、巨大で不気味なカルデラを取り巻いていた。その中の最高峰、日本一高い陸、が3776mを誇る剣ヶ峰だ。そこからのご来光を息子と見るのが念願だったが、更に30分弱の行程を要す。押しつけの失敗を繰り返してきた僕は、無理せず下山するか彼に聞いた。すると、高山病と達成感で放心状態の彼が「…行く」とボソッと言うのだ。「暑いから海はヤダ、眠いからやっぱりスキーに行きたくない」、と押しても引いてもだめだったのに、予想外の返事に富士山の偉大さをちょっと感じた。

やっとの思いで剣ヶ峰にたどり着きご来光を拝み見ると、それは、不思議な彩りの雲海を纏い、えもいわれぬ説得力で語りかけてくる赤光の塊だった。色々な感情で埋め尽くされるに違いない!と思っていたものの、実際はただ圧倒されるばかり、ボーっとするだけの僕だった。一方、浮かれる大人達から距離を置き、無言でポツンと座ってご来光を見ていた息子は一体何を感じていたのだろう。

子に何を与えるか、どう与えるか。日本一高い山への登頂を通して特別な何かを与えたかった。しかし、普段と異なる顔を見せた息子は、(親として移動手段や装備を与えたこと以外)僕に強く手を引かれたわけでも背中を押されたわけでもなかった。自ずから目的を持ち、山や周囲の大人を通して何かを吸収し、チームの一員として頑張っていた。そもそも一連の経験で成長したのは本当に息子だったのだろうか。知らぬ間に大人になっていた彼を日常から見いだせず、僕だけが勝手に不安がっていただけなのかもしれない。つまり、彼のまだ臆病な積極性が顔を出すまで忍耐強く待ち、サポートに徹するスキルが親に育っただけなのかもしれない。

全てを知りたい、把握したい、自分こそが導きたい、という親の本能は否定できないものだと思う。しかし、子の本能もまた、そんな親の傘の外でこそ隆々と枝葉を広げて行けるものなのかもしれない。

「日本最高峰富士山剣ヶ峰 三三七六米」と書かれた石碑と、雲海から昇るご来光をバックにくたびれたピースサインをする息子。いつも通りに冷めた目で面白くなさそうな表情を浮かべているようにも見えるが、僕にとっては普段と少し違う12歳の彼だった。

(令和5年10月号)

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