佐々木 壽英
ベートーヴェンの第九交響曲は年末行事として各地で演奏されている。新潟市では市民団体による自主公演「新潟第九コンサート」として定着し、長い歴史を持つ誇るべき文化である。
2020年と2021年は新型コロナ蔓延のため中止となったが、2022年12月に21回目の第九が再開され、合唱団員は例年の約半数150名に制限し、本番ではソーシャルディスタンスをとって、マスクを着用しての演奏となった。
コロナが少し下火となり、2023年5月にコロナ規制が緩和され、2023年も「新潟第九コンサート」を例年通り開催することが決まった。早速、私も応募することに決めた。募集団員は、ソプラノ・アルト各125名、テノール・バス各50名、全体で350名の通常の数に復活した。10月から練習が始まっている。
第九の本番は2023年12月24日午後2時からりゅーとぴあコンサートホールで演奏される。
1989年に新潟市で第九合唱団を結成し、第四銀行後援による第1回ベートーヴェン第九合唱が県民会館大ホールで演奏された。当時「第四の第九」と呼ばれて親しまれていた。私は、第3回目の1991年から第9回目の1997年まで7回テノールパートを歌ってきた。
1998年10月にはレニングラード国立管弦楽団による第九を地元合唱団員として、新築のりゅーとぴあコンサートホールで歌った。
「第四の第九」はその後、「新潟第九コンサート」と改名し、自主公演の形で継続されている。オーケストラは新潟交響楽団、合唱は新潟第九合唱団、りゅーとぴあコンサートホールで演奏されてきた。この「新潟第九コンサート」で、1999年から2019年まで20回歌い続けてきた。
この他に、2003年9月新潟市で、2004年12月22日に中越地震被災者チャリティーコンサートとして東京銀座ブロッサムホールで歌い、これまでに第九を合計31回歌ったことになる。
この間、何人もの指揮者の下で歌ってきた。指揮者により第九の解釈も異なり、中央からの若々しい指揮者がどんな解釈で、どんな指揮をされるかが楽しみになってきている。
作家シラーは1785年に「An die Freude 歓喜に寄す」という詩を書いている。フランス革命以降、貴族中心から市民中心の社会へと移行の過程で、人々の自由を讃えたものである。
ベートーヴェンがこのシラーの詩の一部を第九交響曲の第4楽章に合唱として組み入れた。
「抱き合え、幾百万の人々よ!」これは、現在の世界に発せられたメッセージではなかろうか。
初演はベートーヴェンが54歳の1824年5月7日で、会場はウィーンのケルントナートーア劇場であった。ベートーヴェンは指揮台にはのったが、ベートーヴェンの横にはミヒャエル・ウムラウフ総指揮者がおり、合唱を含めた全体の指揮を行った。
全く耳の聞こえないベートーヴェンは曲が終わって、嵐のように巻き起こった拍手と歓声が聞こえず、頭を下げていた。その時、アルトのソリストであった21歳のカロリーネ・ウンガーが歩み寄って、ベートーヴェンを聴衆の方に向かせた、というエピソードは有名である。
我が国で最初の第九演奏は、1918年6月1日、四国徳島のドイツ人捕虜収容所「坂東俘虜収容所」であった。今から105年前の事である。
その6年後1924年11月、日本人による第九が東京音楽学校(現、東京芸大)の奏楽堂において、ドイツ人グスターフ・クローン氏指揮により同校の教授・生徒らによって演奏された。それは、奇しくもウィーン初演から満100年目の記念すべき年であった。
(令和5年11月号)