真柄 頴一
日本に戻るための便に乗る便が5時間遅れでマドリードを出発したためドバイ発の日本行きは既に出発した後であった。翌日の同じ出発時刻の便の切符はすでに用意されておりその航空会社の指示に従ってドバイ市内のホテルに向かった。宿泊費と三食の費用は航空会社の負担だが、しかしアルコールは自己負担だ。
とても暑く気温は41℃を示し、散策に出る気にならずTVを見る気にもならず。空調の効いた部屋に閉じこもり、食事以外は旅の思い出を綴った。スペイン語の練習のため、帰国して教師に読んでもらい、誤りを指摘してもらうためだ。
Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía
パブロ・ピカソの絵、ゲルニカは自分に強い印象を与えた。ピカソは1881年スペイン、マラガ生まれ。1885年にバルセロナに転居。9年間の多感な時期を過ごしたそこは開放的で自由な雰囲気に満ちていた。1904年からパリに住んだが、 屡々バルセロナを訪れた。しかし、将軍フランコが独裁政権の座についてからは戻ることはなかった。スペイン内戦中にパリ万博があり、この絵ゲルニカが出展された。この絵はドイツ・ナチスのスペインの都市ゲルニカへの爆撃による惨状を描出したものだ。約2000人の死傷者を出した悲しいニュースをパリで聞いたピカソは、2か月の間にその不条理、悲惨さを大画面(3.5×7.8m)に再現させた。万博の後この絵は、スペインに民主政権が樹立されるまでという条件でニューヨークの近代美術館に貸与された。
ピカソが1973年に、フランコが1975年に亡くなり、このゲルニカはプラド美術館で展示され、その後Reina Sofía芸術センターで展示されている。防弾ガラスは外され、現在は自由に写真撮影が可能である。以前に訪れた時には撮影は厳しく制限されていた。
Joan Miló(1893~1983)
シュルレアリスムの画家。
バルセロナ生まれ。若い頃、療養のためカタルーニャの田舎に滞在し、その豊かな自然が彼の作品に大きな影響を与えたらしい。1919年パリに移住し、パブロ・ピカソと親交を持ち、天真爛漫で色彩豊かな抽象的な絵を多く描いた。1956年からマジョルカ島に住み、明るく輝く地中海の太陽のもと、 90歳まで制作活動を続けた。その単純化された明るい色使いの絵は自分に強烈な印象を与えた。
小さなポスターを一枚購入し、大き目の額に入れ、期待以上の満足感を持って自室に飾った。
書籍と辞書と
マドリード、グランビアにある大きな書店を訪れた(スペイン語教師にその存在を教えて貰った)。Yuval Noah Harari著『Sapiens』を見つけ、既に日本語版を読んでいたので、スペイン語の教科書にするつもりで購入した。何故ネアンデルタール人が滅び、 ホモサピエンスが生き延びたかが書いてあるような気がした。
もう一冊はスペイン、ログローニョ生まれ、Alex Pler著『Hanakotoba』。日本語の例えば三寒四温とか、一期一会とか、高嶺の花等々、自身、日本語で説明し難い語句が盛りだくさんにスペイン人に分かり易く解説されている書籍を発見し狂喜して購入した。買って良かった。
辞書。
Diccionario de sinónimos y antónimos
見出し語19000、類義語、反意語およそ100000。ああそうか、え、知らなかったなあ等、楽しい辞書だ。
Diccionario Español-Italiano、Español-Francés、Español-Alemania.分かりもしないのに。そのうち何か役だつだろう。
Me alegré de que lo pueda usar para estudiar español profundamente.
訳。“それを使うことによってスペイン語を深く理解出来るといいなあ”。教師がこの表現で文法的に誤りでないと言ったが、本当に貴殿が考えたの?と言う表情が読み取れた。
肉
この旅で色々な肉を食べた。大きな目的の一つだ。子山羊、生後四週の羊、12か月以内の羊、及び牛肉。山羊、羊はすべて雄だ。雌はミルク、繁殖のため優遇され、雄は生まれた時既に食肉用と運命は決まっているのだ。
牛肉はロース、ヒレステーキ、いずれも日本のものより優れていると思う。日本のものは grasiento,ta 形容詞。(軽蔑)脂身の多い、脂っぽい、脂ぎった、と言う感じだ。
羊肉
マドリード、サント・ドミンゴ・デ・シロス、レルマ、及びブルゴスで楽しんだ。レルマの生後4週の子羊は特に良い。ミルクの香りがあり上等に焼いてあり、極上の印象を持った。ピンポン玉ほどの肝臓も食べた。サント・ドミンゴでは大腿まるごと一本、遠赤でローストされた羊肉は心地良い。年寄りでも完食。給仕人が、きれいに食べたネ、と褒めてくれた。ブルゴスでは通いなれたレストラン。覚えていてくれた。相変わらずの味と接待。この店は訪れる価値がある。マドリードのホテルの食堂は可もなく不可もなく。教師によれば、大都会で本場と同じ味を求めても無理と言われた。
スペインの子羊肉は良い。楽しめる。連日でも、年寄りでも。
子山羊
ドバイのホテルのアルゼンチン食堂で食べた。焼き場に案内され、部分的に切り取り、気に入ったら食べて下さいと言われ珍しさ半分で試食した。沖縄で山羊汁を楽しみ、その美味しさを知っていたからなおさら、4時間かけて焼き上げたその味は期待通りに納得出来た。アルゼンチン、メンドーサ高地産のマルベック種の赤ワインと共に味わった。このワインはアロマとボディの点でフランス産のマルベック種の赤より優れていると思った。もう一度行きたい。
赤ワイン
スペインでは連日リオハ産、テンプラニージョ種の赤ワインを飲んだ。クリアンサ、レセルバ、グランレセルバの順に値が高い。マドリードのホテルの給仕人に相談し、本当はグランレセルバを飲みたかったが、高いからやめろと言われ、 クリアンサを選択した。十分に楽しめた。3連泊したが三晩とも同じ給仕人がついてくれ、すこし仲良くなり、最終日にクリアンサと同じ値にするからグランレセルバを飲んでみるかと言われ、断る訳がなく、有難く頂いた。香りと重みが優れていると感じた。
サント・ドミンゴの田舎の小さなホテルでは、メニューの中の最高値の赤ワインを一本注文したところ、本当にこれ? 一本飲むの?と言われた。悪者になった気がした。日本で飲むより遥かに安価で、しかも地産地消だから香りに優れ、悪者になって良かったと思った。
レルマで食べた生後4週の子羊が余りに印象的で(恐らく食肉の中でトップクラスに入る。個人的に。)一緒に飲んだワインは確かにしっかりしたクリアンサであったが、その味がどうであったか忘れてしまった。
ブルゴスの子羊は何度食べても一定の確かな味わいが得られ、また赤ワインの品ぞろえも多く選択に迷う。給仕人はやはりテンプラニージョ種のクリアンサを推してくれた。口うるさいホームドクターが一緒でないので、毎晩750mlの尊い赤い命の水を頂戴した。
ハム
スペインには種々のハムがある。生ハムは美味だ。加熱、燻蒸、熟成されたハムの中にも多くの種類があり、どこのホテルでもそれなりに日本よりもはるかに優れた品揃えだ。毎朝食を楽しんだ。従って、昼食時、まだ満腹でスペインオムレツ一切れと一杯のビールだけで過ごした。
生ハムを買って、持ち帰ろうとしても、法律で禁じられている。成田空港には生ハムを敏感にかぎ分ける様に訓練された特殊な犬がいて、頑丈なスーツケースに、巧みに隠されたものもほぼ全て発見するそうだ。殊にヨーロッパからの便が到着すると待ち構えているらしい。10人中9人は発見されてしまうとツアーコンダクターに教わったことがある。日本では生ハム犬と呼ばれ旅行者に恐れられているという。
鶏卵
卵の味は日本と何も変わらない。しかし、スペインオムレツは美味だ。朝食には必ず頂いた。
パンもどこのホテルでも日本より格段に良い。北スペイン、メセタの台地を一人、バックパックを背負ってトボトボと歩き、何処までも続く麦畑を見れば納得の美味しさだ。ご飯を食べたいなど決して思わない。
結語
人間はその夢と切望を失った時に死ぬ。その潜在能力の輝きは決して衰えることはない。どの様な場合でも積極的な意図は良い結果を導く。と、どこかで読んだ気がする。
だから僕は一人旅をするのだ。
必ず一度は困難に直面するけれど。
(令和5年11月号)