大滝 一
●はじめに
本誌の昨年8月号と9月号に「超近代都市ドバイ紀行!」の前後編を掲載いただきました。何人かの先生から「また海外紀行文を書いてよ!」との声をいただきましたが、海外ネタも尽きてしまい書きようがない、といったところです。
ということで、海外編は無理ですが、9月に2泊3日で宮古島に行ってきました。沖縄本島まで足を運ぶ方は多いと思いますが、宮古島までという方はそう多くないと思います。そこで今回は外国ではありませんが、台湾に極めて近い宮古島について書かせていただきます。リゾート宮古島の良さは勿論ですが、思いがけない新潟とのつながりなどもあり、なかなか魅力的な、そして最後は少しはらはらした旅となりましたので報告いたします。
まず宮古島の位置、皆さん分かりますか?
図のようなところにあります。台北と宮古島、石垣島は北緯25度と同じ緯度だそうです。面積は佐渡の6分の1、人口は佐渡と同じ約5万人です。地図で見ると宮古島のほうが台北より南に見えなくもありません。そして台湾と宮古島の距離は450km、東京と宮古島の距離は1,800kmで、ジェット機でそれぞれ40分と2時間半とのことです。新潟から新幹線で行くと距離的には静岡の手前の熱海くらいまでになります。
宮古島のタクシードライバーさんの話では、近いので外人観光客は勿論台湾が一番多く、ついで中国とのことでした。ただ二つの国の国民性は全く違うとのことです。
今回宮古島に行こうとなったのは次男の嫁さんが沖縄出身で、そのお父さんが県立宮古島病院の病院長を務めており、来春の退職前に宮古島に是非お越しくださいということで、私と家内、弟夫婦、長女の一家4人、次男夫婦と総勢10人で伺うことになりました。
●さて宮古島へ
9月上旬は、4つの台風が同時に発生し、台風シーズンの中どうなるか気になりましたが、出発の9月18日にはテレビの予報図には一つの台風もなく、無事羽田を発ち直行で宮古島に向かいました。飛行機は3連休ということもあって満席でした。出発は40分ほど遅れましたが、実質2時間40分程度のフライトで、午後3時すぎに宮古島につきました。
その日の宮古島の最高気温は31度で新潟と同じでしたが、宮古島は日差しが厳しい!空港を出ると日陰はそうではないですが、直射日光は新潟に比べて痛い感じがしました。紫外線量の違いなのだろうと思いました。
さて、空港からホテルまで車で約20分。車窓からまず目につくのはサトウキビ畑(写真1)、宮古島の産物はサトウキビとマンゴーとのことです。サトウキビは黒糖の原料になるとのことでした。それにしても空が青い。さらには大きな墓(写真2:ネットより)、これは沖縄もそうでしたが、お盆の際に親族が墓に集合してご先祖様たちと会食をするために大きな墓を作るのだそうです。ちょっとした小屋と言ってもいいくらいでした。また、家の一軒一軒がコンクリート造り、多くの窓には鉄製の格子が入っていました。これは勿論台風対策とのことです。
●ホテル
さて、ホテルに着きました。ホテルは長女の旦那さんの計らいでヒルトンホテルを予約してくれました。まずは玄関からの眺望が「おー!」と思わず声が出てしまうほど素晴らしかったです(写真3)。この3月にできたばかりで、プレオープンが終わり7月から本格的に営業を開始したところだそうです。宮古島は農業と観光が主な産業であり、日本だけでなくアメリカやドイツ系のホテルもあるとのことでした。正にリゾートホテルで、プールも沢山あり(写真4)、7階の部屋から見る全長3.7kmの伊良部大橋は宮古ブルーの青い海・空とマッチしてとても素晴らしい景色でした。
その日の夕方はホテルでゆっくりし、10階のレストランで食事をし、その後11階のテラス付きラウンジで思い思いのアルコールをいただきました(写真5)。夜は少し涼しくなり心地よい時間を過ごしました。
翌日の午前は孫とプールで遊び、午後は観光、夜は宮古島料理に舌鼓を打ちました。
まずプール遊びですが、まず水がぬるい!宮古島も暑い日が続いたとのことで、水というよりぬるま湯といった感じで心地よい温かさでした。孫がウォータースライダーに嵌り10回以上も滑りました。ママと一緒に滑り降り、ジジの私が下で受け止め役をしました(写真6)。その後は砂浜に出て波遊びです。最初は波を怖がっていましたが慣れたようでした。
●ここに新潟の板倉町が
午後は、観光です。観光についてはいろいろガイドブックが出ていますので簡単に済ませます。案内は県立宮古島病院長とその奥さんです。病院長は今まで島を訪れた多くの病院関係者を案内しており、地元の話を交え詳しくいろいろと教えてくれました。院長ご夫妻に心より感謝いたします。まずは宮古島から周りの島にまたがる3大大橋、伊良部大橋、来間大橋、池間大橋のうちの来間大橋を渡り来間島に行きました。本当に海がきれいで、宮古島ブルーと言われますが、その美しさは新潟では見ることができません。やはりサンゴ礁があるお陰と思います。
宮古島の南端の東平安名崎には羅針盤のようなものがあり、そこになんと「新潟県板倉町」の記載がありました。宮古島から板倉町まで1,844Kmと距離が書いてあり(写真7、8)、なぜなのかとても不思議に思いました。その云われを伺ったところ実に感動的な伝承がありました。板倉町出身の中村十作という人物が、人頭税に苦しむ宮古島島民の救世主になっていたのです。このことを少し纏めてみたいと思います。
琉球王国の離島である宮古島は、1637年以降ある年齢に達すると所得に関係なく人頭税という重税が課せられていました。宮古島の全収穫の65%が税として納められたようで、中にはあまりの重税に、手足を切り落とし税から逃れる者もあったとのことです。
そのようなところに、1892年に板倉町の中村十作が真珠の養殖事業のために宮古島を訪ねます。あまりの重税に苦しむ島民を見て、十作はいてもたってもいられず、東京にいる弟や知り合いの新聞記者に宮古島の現状を伝え政府の要人らに働きかけてもらいます。その努力が実って1895年に人頭税の廃止が帝国議会で決まり、1903年に廃止となりました。
宮古島島民にとっては重税からの開放においてかけがえのない人物が板倉町の中村十作だったのです。
●やはり泡盛!
そして夜は、宮古島料理を堪能させていただきました。病院長お薦めのお店でいただく料理は全てが美味しかったですが、うみブドウのプチプチ感、ぷりぷり感はたまりませんでした。またもずくの天婦羅、これまた美味しい!新潟でももずくは結構食べますが、天婦羅は初めてでした。沖縄ではごく普通に食べているとのことでした。料理に関してはどうしても主観が入りますので、皆さん、宮古島まで足を運んでご自身の舌でご賞味ください。新潟とはまた違う美味しさを堪能できると思います。そして泡盛!これがとても美味しいです!
●帰路
壮大な伊良部大橋の美しい光景を網膜に焼き付け(写真9)、宮古空港での宮古蕎麦をいただき帰路につきました。この宮古蕎麦は薄味でかなり美味しかったです。量も多く私は食べきれませんでした。
帰りは飛行機が遅れ、到着予定より1時間半くらい遅れたため、グリーン席を予約していた新幹線に間に合わないという結果になりました。
ところが、その新幹線が三条付近の架線にビニール?が引っ掛かったことでたまたま遅れていたのです。新幹線が遅れることはまずありませんが、よりによってこの日は遅れ、予定の新幹線が20分遅れで出発となり、何とか間に合いました。私たちにとってはラッキーでした。羽田で出発間際のモノレールの快速に滑り込むようにしてかろうじて乗れたのが大きな勝因と思いました。
宮古島ブルー、海も空もとてもきれいです。そしてマンゴーも泡盛もとても美味しいです。新潟から半日です。宮古島、いいところですよー!
図
写真1
写真2
写真3
写真4
写真5
写真6
写真7
写真8
写真9
(令和5年12月号)