穂苅 環
成田からウランバートル行の直行便が1時間遅れで出発、ホテルに着いたのは夜10時近く。第一声は「都会だ!」。ホテルは繁華街にあり、年末だというのにクリスマスイルミネーションにあふれ、不夜城のごとく。
12年前フォトコンテストに挑戦し始め、新潟フジカラー・フォトグランプリ入選が最初の目標だった。モンゴルをテーマに発表を続けるカメラマン清水哲朗氏が、審査員として2年連続だったが、あっけなく落選。その後写真集や著書を読み、「推し」になった。東京で個展があればいそいそと、彼が審査員のコンテストに出品したり、雑誌『フォトコン』の審査員の年には一年間「組写真」にも応募した。努力のかいあり、直接賞状を頂いたこともある。そんな折、昨秋ドラマ『VIVANT』を観て、もうモンゴルに行くしかないでしょう。
大手旅行社の『年末年始モンゴルの旅』はすぐに見つかった。女性一人コースまである。成田を午後に出て、5時間半のフライトで気軽だった。問題は寒さ。氷点下30度に耐えられるのか?雪中のゲル、犬ぞり(写真①)、馬ぞり体験、ホスタイ国立公園で野生馬「タヒ」に会う、初日の出はシベリア鉄道に乗車し雪原で迎える等、想像しただけで、身震いした。
清水哲朗氏に冬のモンゴルについてアドバイスをいただいき、電池消耗が早いので、たくさんの予備を準備、お得意のYouTubeでも予習。物価は安い、トイレットペーパーがないので、持参を。モンゴル料理は口に合わずとも、ホテルではアメリカンブレックファーストが食べられるし、室内は暑いくらいだと。
いざ出陣。モンゴルも日本同様暖冬で、氷点下23度が最低気温で、昼間はサングラスが必要なほどの強い日差しがありがたい。とはいえ、カップラーメンは凍る(写真②)し、インスタントコーヒーを入れるお湯を撒いても、すぐに氷粒に凍ってしまった(写真③)。国立公園に向かう道で、前夜30センチほどの降雪のため観光バスが通れず、ロシア製四駆ジープ(写真④)に乗り換えるハプニングもあった。初日の出は、元旦4時にホテルを出て、2時間半4人個室でシャンパンを飲みながらの快適な鉄道旅だったが、雪原に降りると凍てつく寒さで、指先が凍傷になりそうで、そうそうに電車に戻ってしまった(写真⑤)。
デパートは年末年始もクリスマスの飾りつけのまま営業していて、豪華なホールケーキを買う人もいたり、欧米有名ブランド品も数多く売っていた。モンゴルの近代化には目を見張るものがある。
NHKが映るので紅白歌合戦も観られ、元日の能登半島地震のニュースも入った。すぐにLINEで息子3人と連絡を取ったが、大きな問題はないと知り、心配は翌日2日の新幹線。動いているのか?帰路4時間半のフライトで、成田に午後1時過ぎには無事着いたが、東京駅には乗客があふれ、1時間以上待ってなんとか自由席に乗車できた。その頃羽田空港の衝突事故を知る。恐る恐る家に帰ると、仏壇の中の位牌は倒れていたが、他にたいした落下物もなく、割れ物もなかったのでほっと安心。5日間緊張しっぱなしで、旅の疲れも感じないまま、自宅風呂に浸かったのを覚えている。次回は夏のモンゴルが夢。砂漠で乗馬できるかな。
写真①
写真②
写真③
写真④
写真⑤
(令和6年2月号)