永井 明彦
昨年の『月灯虫音』欄への投稿で「聖書の中では、光は善・真実・純粋を表し、闇は悪や破壊を意味する」と書いたが、それは西欧キリスト教世界の話で、我が国では、かつての谷崎潤一郎のように電灯がなかった時代の日本の美の感覚である「陰翳を礼賛」する気質の方が未だに強いように思う。
夜景を主題として描き続ける横尾忠則が、ヨハン・エクレフの『暗闇の効用』(永盛鷹司訳、太田出版)をA新聞で紹介していた。スウェーデンの光害(ひかりがい)研究家である著者のエクレフは、「コウモリ研究者、暗闇の友として夜に奉仕してきた」経験を読者とともに共有し、昼夜の区別のない人工の光が生物の体内時計をいかに乱してきたかを明らかにしている。横尾はこの書物は文明批評とも読めるが、21世紀の「陰翳礼賛」の書でもあるとしている。
確かに、昔の夜は市中でも月や天の川がよく見えたが、現代では地上の人工的な光が夜空から星の光を奪ってしまい、天文学研究の妨げとなっているという。都市の夜の強すぎる灯りは、鳥やコウモリやウミガメなどの生態系に大きな影響を与え、LEDの寒色(青色)の光はメラトニンの分泌パターンを変え、睡眠の質を落とし、ヒトの生活習慣病の発生を促進するともいわれている。
陰翳の中でこそ光は映えるが、昼夜の別なく光害が溢れる現代では、日本古来の美意識や美学を取り戻すことは難しくなってきている。逆に現代の日本の室内の明る過ぎる照明に比べ、欧米の家屋では、もともと間接照明が主体で、やや暗めの照明は生活に落ち着きを与える。横尾忠則は近著の『死後を生きる生き方』(集英社新書)の後書きで「執筆中に心筋梗塞に罹患して死にそこなった」とも記している。その時、彼は漆黒の深い彼岸の闇に引きずり込まれそうになったのだろうか、それとも悩み多い此岸の向こう岸に輝く美しい光を見たのであろうか、是非とも聞いてみたいものだ。
(令和6年4月号)